ファイティング・マシーンであるタイソンはコントロール・タワーである彼の指示に忠実に従い、ただフォーメーション化されたコンビネーション・ブローを、力一杯相手の急所に叩き込むだけでよかった。
<この原稿は1994年発行の『勝ち方の美学』(講談社)に掲載されたものです>

 さらにダマトは試合が近付くと精神科医のジョン・ハルビンをタイソンの傍に置き、リラクゼーションの状態を保たせた。腕のいいカットマン(止血役)のマット・バランスキーもチームに加わった。ただし、彼の出番は一度もなかった。バランスキーの仕事のチャンスは、皮肉なことに彼がチームから除外されたあと、すなわちダグラス戦で初めて訪れたのだったが……。

 いずれにせよ、タイソンは世界チャンピオンになった20歳の時点ですでに完成していのではなく、チーム・タイソンの総力によって完成させられていたと言えよう。

 そう考えると、今回のKO負けの真因が見えてくる。ダマト、ジェイコブスはすでにこの世になく、人間関係のもつれからルーニーまでクビにしてしまったタイソンに、対フランク・ブルーノ、対カール・ウイリアムス戦に続いて勝利を呼び込むだけの力は、もはや残されていなかったのである。

 敗れたタイソンにルーニーはこう語りかけている。
「だから言ったじゃないか、マイク。もしもう一度勝ちたいなら、今のチームを解体する以外ないだろう。問題はその勇気がキミにあるかどうかだがね」

 チーム・タイソンの崩壊は1985年1月のダマトの死から2年4カ月後のジェイコブスの死によって加速がつき、88年秋のルーニーの追放によって決定づけられる。

 タイソンに新チームを押しつけたのは悪名高き黒人プロモーター、ドン・キング。彼はダマト、ジェイコブスの死に乗じてタイソンに触手をのばし、ケイトンからマネジメント権を剥奪するという強硬手段に及んだ。

 されには、ロビン・ギブンスとの結婚、離婚、そしてストリート・ファイト、交通事故やトラブルの限りを尽くすタイソンに「キミは白人から搾取されているんだよ。たから……」とつぶやき、影響力を浸透させていった。

 ダマト=イタリア系、ケイトン=ユダヤ系、ジェイコブス=ユダヤ系、ルーニー=アイルランド系――というチーム・タイソンの人種構成が、タイソンと同じ黒人のキングにとっては格好の攻撃材料だったのである。

 実際、キングの黒人活動は本格的なものではある。87年には世界ボクシング評議会から南アフリカを除名することに成功し、それによりマーチン・ルーサー・キング賞を受賞してもいる。

 しかし、キングがタイソンに押しつけた新チームはまるで評価に値しないものだった。ルーニーにかわる新トレーナーのアーロン・スノーウェルは、タイソンの血であり骨であるダマト流のボクシング・ボクシングスタイルをまったくといっていいほど理解できず、自分なりのセオリーに従ってタイソンをコーチしようとした。

 もちろん、3人の世界チャンピオンのチームに入ったことのあるスノーウェルにはスノーウェルなりのやり方があっただろう。しかし、ダマト教の信仰者であるタイソンにとって、新参者のレクチャーなど退屈以外の何ものでもなかった。

 スノーウェルを新しいコントロール・タワーに据えた新チームは、1989年2月対フランク・ブルーノ戦から発進する。

 楽勝と見られたこの試合の1ラウンド、タイソンはダウンから立ち直ったブルーノの左フックをもろあごにくい、下半身をぐらつかせる。もしブルーノに追い足があれば……新チームは第1戦にして屈辱にまみれていたに違いない。

 2戦目は相手がカール・ウイリアムスというポンコツだったためアラが目立たずにすんだが、それでもウイリアムスのジャブをポンポン鼻先にくい、鉄壁のディフェンス技術を持つかつてのタイソンではなくなっていることを印象づけた。

 そして迎えた今回のダグラス戦――。

 正直な話、2ラウンドが終わった時点で私はダグラスの勝利を予感した。タイソンの持ち味は鋭くステップ・インしてからの左のダブルだが、このパターンを研究し尽くしていたダグラスはタイソンの初動に合わせて、矢のような右ストレートを突き刺した。さらには懐に入られるとクリンチ、離れれば左ジャブとタイソン封じの教科書のようなボクシングを展開した。

 試合後物議をかもした、8ラウンドに奪ったダウンも、油断したダグラスのアゴにたまたま出合い頭のアッパーが衝突したまでのこと。それ以外のラウンドは、すべてダグラスに支配されていた。

 ボクシングは科学である。技術の差を精神力や運で乗り越えることは容易ではない。

 この時点でスノーウェルを軸とする新チームは、アメリカン・フットボールの元マネジャーでフォーメーション・プレーを得意とするジョン・ジョンソンが仕切るチーム・ダグラスのさらに上を行く作戦に切り替える必要があった。

 しかし、チャンピオンコーナーのスノーウェルは「約束が違う、作戦通りのフォーメーションを実行しろ」とまくしたてるだけで、危機に際してのアイデアを何ひとつ提供することができなかった。

 試合の数日後、私はプロモーターの好意により15分だけタイソンにインタビューする時間を得た。愚問を承知で私は訊いた。

「マイク、君は何のために闘うのか……」

 タイソンはしばし沈黙した後、無表情のままで答えた。
「では、キミはその質問に答えることができるというのかい?」

「頭脳」を持たないファイティング・マシーンの壊滅――。試合後の記者会見、潰れた目をサングラスで覆って現れたタイソンは、もはやただの肉の塊に過ぎなかった。

 鉄人タイソンは「人間」ゆえに敗れたのではない。「機械」ゆえに敗れたのである。

(おわり)
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