スティーヴン・スピルバーグが制作した映画「ミュンヘン」は1972年、ミュンヘン五輪でのパレスチナ武装組織「黒い九月」によるイスラエル選手団襲撃事件と、その後のモサド(イスラエル諜報特務庁)による報復作戦を描いたものである。併せて『ミュンヘン――黒い九月事件の真相』(角川文庫)も読んだが、「平和の祭典」であるはずの五輪がテロの舞台に選ばれ、暴力の果てなき応酬へと向かう経緯はブレーキを失った暴走列車を想起させる。むき出しの感情の前には理性などひとたまりもないのか。
 あれから40年以上経つが、世界はより不安定さを増し、米国のテロ問題研究団体によると、一昨年(2012年)だけでもテロにより、世界中で過去最多の約1万5千人以上の死者が出たという。

 年末、ロシアではテロが相次いだ。冬季五輪開催地のソチから約700キロ北東のボルゴグラードでは、駅舎に続いてトロリーバスが爆破された。イスラム過激派の犯行と見られており、武装勢力のリーダーは早くから「ソチ五輪の阻止」を明言している。

 ロシア政府は安全対策に20億ドル(約2千億円)もの巨費を投じ、万全を期す構え。プーチン大統領は全土で警備体制を強化するよう指示を出した。

 聞けばソチが面する黒海の警備にあたっては精鋭部隊を配し、海中パトロールまで行うそうだ。念には念を入れるというメッセージなのだろうが、「そこまでやらないと危険なのか?」「モスクワなどの大都市は大丈夫か?」と逆に不安になる。いずれにしても五輪史上、空前の警備網だ。

 9・11の翌年、02年のソルトレイクシティ大会を取材した時のことだ。空港では時限爆弾に転用される恐れがあるとの理由で、危うく商売道具の携帯電話まで分解されそうになった。メディアバスの窓には狙撃対象にならないようにと黒い網が張られていた。

 こうした、いわば“戒厳令下の五輪”は状況を考えれば仕方がないとはいえ、これで最後にしてもらいたいと願ったものだ。だが、関係者によるとソチの厳重警戒態勢はソルトレイクシティの比ではないという。

 古代より大会期間中の休戦が呼びかけられる五輪に、火薬の匂いが忍び寄る現実は、歴史の大いなる皮肉としか言いようがない。

<この原稿は14年1月1日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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