珍しくカープの前評判がいい。開幕前の順位予想で多くの評論家が2位、3位にあげていた。昨季、16年ぶりにAクラス入りを果たしたことで、チームは上げ潮ムードにある。中日との開幕3連戦も2勝1敗と勝ち越した。この余勢を駆ってダークホースから巨人の対抗馬への位置どりを確保したいところだろう。
 周知のように12球団の中で、カープは最も長い間、優勝から見放された球団である。最後の優勝が1991年だから23年も優勝から遠ざかっている。昨季限りで前田智徳が引退、生え抜き選手で優勝を経験した者は、ついにひとりもいなくなった。

 カープの初優勝は75年。球団創設26年目での悲願達成だった。この年の4月11日、広島市民球場での中日戦で“事件”は起きた。阪急から移籍してきた宮本幸信が審判の判定を不服とし、何ととび蹴りをくらわせてしまったのだ。もちろん、即刻、退場である。

 宮本の行為に対しては弁護の余地もない。しかし、監督のジョー・ルーツは、ベンチを去る宮本に、こう語りかけたという。「ミヤ、キミの闘争心を僕は買うよ」。以来、ニックネームは“キックの宮さん”。

 宮本は阪急時代に4度のリーグ優勝経験があった。セ・リーグでも「勝利の美酒に酔いたい」と願っていた。ところが移籍したカープは3年連続最下位の弱小球団。入団するなり、衣笠祥雄にこう耳打ちされた。「宮さん、球場に車で来ん方がええですよ」「何でや?」「負けたらボコボコにされますから」「だったら勝ちゃええやんか!?」

 この年、宮本は主にクローザーとして44試合に登板し、10勝2敗10セーブ、防御率1・70という好成績で初優勝に貢献した。セーブ数が少ないように思われるかもしれないが、当時はクローザーでも2、3イニング投げるのが当たり前の時代。彼こそは“陰のMVP”だった。

 後日談がある。翌日、ルーツに詫びを入れようと監督室をのぞくと“とび蹴り”の写真がパネルで飾られていた。血の気の多さではルーツも負けてはいなかった。この16日後、退場処分を巡る球団の収拾策を不服とし、チームを去る。カープの帽子を紺から赤に変えた男がルーツだったことを知る者は、もう少ない。「赤はファイトの象徴なんだ」。それが彼の口ぐせだったという。

 長い苦節を経て、今季、赤ヘルフィーバーは巻き起こるのか。

<この原稿は14年4月2日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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