試合本番に向けてのコンディショニングと聞くと、すぐに思い浮かぶのがフィジカル的要素であろう。疲労を残さず、いかに万全な状態へともっていくことができるか、と考えるのが一般的だ。だが、実はここで忘れてならないことがある。メンタル的要素だ。なぜなら、「身体と心はつながっている」からである。
「身体の動きは、すべて脳からの指令によって行なわれているんです。だから条件反射として、頭でイメージしたことは必ず身体に出る。例えば試合前に不安になって悪い結果をイメージすると、脳を通じて身体の神経が乱れる。そうすると、腹痛を起こしたり、筋肉が硬くなったりするんです」
 主に陸上選手のコンディショニングトレーナーを務める中西靖はこう説明する。

 故障をしたり、身体のどこかに痛みが発症すると、誰もが「痛みをとり、元の状態に戻す」治療にとりかかる。確かに重要なことだ。だが、実はそれだけでは、その場限りの治療にすぎない。真の治療は、痛みの原因を究明するところから始まる。

「身体のどこかに痛みが発症すると、その部分の治療をして完治したら終わりという人が多い。それはトップアスリートにも少なくないんです。でも、なぜ痛みが出てきたのか、その原因を追求することが実は一番大事。大げさに言えば、治療をしなくても、それさえ究明できれば、痛みが治まる場合だってある。それに原因がわからないままでは、また同じようなトレーニングや生活をして、ケガを繰り返すことになりますからね。長く競技を続けようと思えば、時間はかかっても、原因をはっきりとさせることが重要です」
 身体の異変に、気持ちの部分が大きく影響していることは決して少なくない。

「負けない」よりも「勝てない」の方がプラスに

 中西が専任のコンディショニングトレーナーとしてケアし続けている十種競技日本代表の右代啓祐には、試合前日、必ず起こる症状がある。腰痛だ。
「腰痛というと、背骨の歪みや筋肉のバランス悪さ、疲労からきているのかなと思われがちですが、実はそうではない場合が少なくないんです。特に右代のようなトップアスリートは試合には万全の状態でコンディショニングをしていますから、疲労などで痛みが出ることはまずない。じゃあ、どうして腰痛を起こすのかというと、原因は他にある。右代の場合は単純に心(脳)の緊張からくる痛みなんです」

 そこで、中西が行なうのはイメージの変換作業である。
「右代にはまず最初に悪いイメージを頭の中で具体的に浮かべてもらうんです。そうして、大きな深呼吸を3回してもらいます。それから、いいイメージを浮かべてもらうんです。そうすると、また悪いイメージが浮かんできた時に、いいイメージへと変換する作業がインプットされているので、緊張しづらくなるんです」

 イメージづくりには、自らが発する言葉も重要である。一般的にポジティブな発言が、プラスになると考えられているが、実はそう単純ではないようだ。中西によれば、発言の意味だけでなく、言葉そのものにこそ、脳は反応する。例えば、レースに勝つイメージをしたとする。その時「私は負けない」という発言は、脳にマイナスのイメージを抱かせる。それよりも「私は勝てない」の方が脳には、プラスになることもある。

「意味としては『負けない』はポジティブな発言なのですが、身体は『負け』という言葉に反射してしまうんです。それよりも『勝てない』の方がまだいい。意味はネガティブでも、『勝つ』というイメージを抱きやすいからです」

 実力発揮に不可欠な指導者のケア

 2010年から右代の試合に帯同している中西だが、実は初めて試合前日に腰痛が起こらなかったのが、今年6月に長野で行なわれた日本選手権混成だった。右代はこの試合で8308点と、自らの日本記録を150点以上も更新している。
「この時は、腰の痛みも出なくて、すごく順調でしたね。昨オフに新しい身体の使い方を習得したおかげで、パフォーマンスも上がりましたし、身体も疲れづらくなったようです。本人も『今までとは全然違う』と言っていましたから。試合にも自信を持って臨めたんだと思います」
 やはり、身心ともに健康な状態だからこそ、最高のパフォーマンスが生み出されるのだ。

 それは選手本人に限ったことではない。選手を支える監督やコーチなど、周囲もまた健康な状態であることが重要だと中西は考えている。実は試合前、中西がケアするのは、右代だけではない。大学時代から右代を指導する岡田雅次監督をケアするのも、中西の仕事のひとつだ。右代が新記録をマークした6月の日本選手権でも、初日の朝、中西は岡田監督の身体を治療している。

「選手とは一番近い存在であり、信頼関係が築かれている監督の状態というのは、選手のパフォーマンスに影響を及ぼすと思うんです。監督だって人間ですから、疲れて元気がなかったり、不快な気分の時もある。それって、やっぱり選手には伝わりますよね。だからこそ、監督が健康でいることはとても重要なんです」

 選手がどれだけいい状態で本番に臨むことができるか。そのためにでき得ることはすべてやる。それが中西の考えだ。アスリートたちが試合で見せるパフォーマンスの裏には、こうしたサポート役の存在がある。

(おわり)

中西靖(なかにし・おさむ)
1982年7月4日、東京都生まれ。カイロプラクター。八王子高校出身。RMIT大学日本校カイロプラクティック学科卒業後、ハプティカイロプラクティック(東京都)に勤務し、2年後に独立。「西八王子カイロプラクティック」を開業する。2010年より十種競技日本代表の右代啓祐選手の専属トレーナーとなる。現在はそのほか、八王子高校陸上部チームトレーナー、同校野球部コンディショニングトレーナーも務める。
西八王子カイロプラクティックHP

(斎藤寿子)
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