日本ラグビー界に新風を巻き起こし続けている男がいる。日本で、そしてアジアでフルタイム(プロ)レフリー第1号となった平林泰三だ。彼のレフリー経歴は、まさに華麗である。18歳でC級ライセンス、31歳でインターナショナルマッチを担当することができるA級ライセンスと、いずれも国内では最年少での資格取得を実現。さらに31歳でU−19W杯、翌年にはU−21W杯でレフリーを務めた平林は、世界でも高い評価を得て、2007年3月には念願であった120年以上の歴史を誇る欧州6カ国対抗戦でのタッチジャッジ(線審)に抜擢された。これらすべて、アジア人初の快挙である。今や世界に活躍の場を広げ、日本ラグビーの発展にも寄与する平林。アジアではフルタイムレフリーのパイオニア的存在である彼が追い求めるレフリングとは――。
 ラグビーレフリーの仕事である「ゲームマネジメント」とは、単にピッチ上でのプレーに対してのジャッジに限らない。特にインターナショナルマッチとなれば、国、言葉、文化とまったく異なるバックグラウンドを理解したうえで、30人の選手たちが最大限のパフォーマンスを引き出すことができるようにコントロールし、プレーヤーにとっても観客にとってもより良いゲームへと導いていく――。それがゲームマネジメントだ。

 フルタイムレフリーとして今年で9年目となる平林は、ラグビーレフリーの特徴をこう語る。
「どの競技にもレフリー、アンパイヤ―がいるものですが、その中でもラグビーのレフリング作業はユニークなものだと思うんです。30人という大人数がピッチ上にいて、一斉に動くものだから、常にゲームはカオス状態。その中で、危険な行為でない限り、接触プレーが許されている。スペースがない中で、スピーディに展開され、非常に複雑な状況がどんどん生み出されていく。そこでのレフリングというのは、本当に難しいんです」

 だからこそ、何より重要なのが試合前の準備だという。日本はもとより、アジア初のフルタイムレフリーとなった2006年以降、平林が継続しているルーティン・ワークがある。週末の試合に向けて、月曜日はフィジカルケア、火曜日はビデオチェック、水曜日と木曜日はチーム分析と試合展開のイメージをすることだ。試合当日には準備万端の状態で会場へと向かう。

「会場に着いたら、まずは選手のロッカールームに行って、試合の説明をしたり、防具やスパイクが危険でないかをチェックします。その時には、もう僕の顔に笑顔は一切ありません。ケガも伴う真剣勝負の場で、僕が介入して勝敗を決めなければいけないシーンはたくさんある。そのジャッジひとつで、チームや選手の人生が変わるんです。だからこそ、試合前から“こちらはベストを尽くす準備をしっかりとしてきていますよ”という姿を見せることが大事。そうするかしないかでは、選手からの信頼感も、試合で生まれる結果もまったく違うものになると思うんです」
 こうした平林の信念は、駆け出しの頃の指導に基づいている。

 準備はマネジメントの第一歩

 平林がラグビーを始めたのは5歳の時。それ以来、テレビで目にするイングランドのラグビーに憧れ、「いつかイングランド代表として6カ国対抗に出る」ことを夢見ていたという。転機が訪れたのは高校3年の秋。高校ラグビーの聖地・花園への出場がかなわず、プレーヤーとしての自分に見切りをつけた平林は、レフリーとして世界の舞台に立つことを新たな目標としたのだ。地元の宮崎産業経営大学に通いながら、平林はレフリーの道を歩み始めた。

 そんな平林に期待を寄せたのが、彼が「1番目の師匠」と呼ぶ川崎重雄だ。当時、川崎はインターナショナルレフリーを務めながら後継者の育成にも力を入れていた。
「10年後に宮崎からトップレフリーを輩出する」
 川崎にはそんな思いがあった。
「泰三くんがレフリーをやりたいと言って来た時、感銘を受けましたよ。それまでレフリーと言えば、現役を引退した教員やサラリーマンがやるのが普通だった。ところが、まだまだプレーもできる10代の子がやりたいと言う。これは若い芽が育つな、と思いました」

 とはいえ、当時川崎が後進にと指導に力を入れていたのは、自分と近い世代の若者たちであり、平林をすぐにどうという目では見ていなかったという。平林が大学2年の時に参加した宮崎県ラグビー協会が支援した豪州への留学時も、まだ若干19歳の若者はメインターゲットにはなっていなかったのである。ところが、平林は人一倍強いラグビーへの情熱と行動力で、あれよあれよという間に、先輩たちを追い越していったのだ。川崎が驚いたのも無理はない。彼が最初に会った平林は、レフリーとして右も左もわからないゼロの状態だったのだから――。

「そのパンツは何だ! レフリーが履くものではないだろう」
 平林が初めてレフリーの研修会場を訪れた時のことだ。川崎に開口一番、叱られたのはユニフォームについてだった。当時の平林にはレフリーがどういう服装をするかもわかっていなかったのだ。
「とにかく川崎さんには基本中の基本から教わりました。一番に言われたのは、準備すること。ユニフォームの着こなしから、髪型や顔の表情まで、身だしなみをきちんとして、選手の前に立ちなさいと言われました。第一印象がとても大事だよ、と。今考えると、それってマネジメントの入り口の部分なんですよね。印象で人間の心理は変わりますから」

 実は川崎は、ユニフォームについて叱ったことを覚えてはいない。だが、身だしなみにおいては、口を酸っぱくして言ったことは確かだという。
「スパイクはきちんと磨いていきなさい、とか見た目については、厳しく指導しましたね。なぜなら、レフリーは選手から尊敬されるようでなくてはいけないからです。そうしなければ、自分たちの勝負を委ねてはもらえまませんよ」

 そして、こう続けた。
「でも、彼が今でもそのことを印象深く覚えているということは、それだけ聞く耳を持っていたということでしょう。レフリーは主張するだけではダメなんです。ピッチ上では毅然たる態度で責任を持ってジャッジする。そして、ピッチ以外では人の言うことに耳を貸して、常に自分のジャッジが正しかったかを確認する。レフリーはその繰り返し。そういう意味では、泰三くんは今でもちゃんと人の言うことに耳を傾けますよ。だからこそ、彼は成長しているんだと思います」

 反則への“予防”もレフリーの役割

 フルタイムレフリーとなって9年目を迎えた平林には、日本ラグビーの強化に貢献するという使命感がある。だからこそ、試合の中で選手を育てていくことがレフリーの重要な役割だと考えている。
「選手ひとり一人がレベルアップし、ゲームのクオリティーを上げることが、ひいては日本ラグビーの発展につながるはずです。もちろん、日常の練習で選手を向上させるのは監督やコーチ陣の役割。でも、ラグビーの試合では監督やコーチがピッチ上で指示を出すことはありません。相手がいる実戦では、強度も難易度も上がるし、選手たちもいつもとは違うスイッチが入る。つまり、向上する要素はふんだんにあるんです。それを無駄にするのはあまりにももったいない。じゃあ、誰がそれを引き出してあげられるか。それは僕たちレフリーなんです」

 そこで重要となる数値がある。実際にボールが動いているインプレーの時間の割り合いだ。平林によれば、現代ラグビーにおいてインターナショナルマッチでのインプレーの割り合いは、約40%。つまり80分間のうち、ボールが動いているのはおよそ35分間だという。この数値が下がれば下がるほど、選手たちのプレー時間が少なくなり、レベルアップする機会が失われていく。だからこそ、レフリーがインプレーの時間を確保するように進行することが重要なのだ。そのための対策のひとつとして、“予防”がある。

 ラグビーという競技は、激しいコンタクトプレーが許されている。勢い余って結果的に危険な行為となり、反則を犯すことは少なくない。だが、あまりにも反則が多いゲームは、それだけ中断する時間が多く、インプレーの時間は少なくなる。さらに、反則が繰り返されれば、イエローカードを出さなければならず、ピッチ上の人数が減少してしまう。これではゲームのクオリティーが下がり、選手のレベルアップを図ることはできない。だからこそ、予防が重要となる。レフリーの仕事は反則を犯した選手を裁くことだけではなく、未然に防ぐことも重要な役割だと現代ラグビーでは考えられているのだ。

「例えば、ボールを持った相手の選手に対してバタンと倒れこむのは反則になります。この時、同じことを繰り返している選手には『何度も反則しているぞ。次はやめなさい』と厳しく言います。しかし、倒れてしまう理由が、その選手のスキルにあるとすれば、そこを指摘してあげることも重要です。『目線が下に落ちているから、ボールの上に倒れ込んでしまうんだよ。目線を上げて、しっかりと足を使ってプレーしなさい』などと言ってあげれば、選手も『なるほど、そうだったのか』となる。そうすれば、その選手の向上にもつながるし、インプレーの時間も増えるんです」

 5、6年前のことだ。平林がレフリーを務めたトップリーグの試合で、川崎がレフリーの査定を行なうレフリーコーチをしたことがある。
「泰三くんが笛を吹く試合で、私がレフリーコーチを務めたのは初めてのことでした。自分が指導して、宮崎から巣立っていったレフリーが、トップリーグで笛を吹いている姿を見るというのは、何とも感慨深いものがありましたね。実際、泰三くんのレフリングはとても巧かった。選手がパフォーマンスを最大限に出せるように、うまくコントロールして、プレーする時間を大事にしていたんです。選手とコミュニケーションをとって、反則させないように未然に防いでいたのがわかりました。だからゲームは実にスムーズに進行されて、レフリーの笛の音がまったく目立っていなかったんです」

 こうしたレフリングができるのも、平林が川崎の訓えを守り、しっかりと準備をしているからであろう。チームや選手の特徴を把握し、どのような試合展開になるかをある程度予測しているからこそ為せる技である。
「生まれもってプレーヤーとしての素質を持った選手はたくさんいます。でも、最初からレフリーの素質を持っている人はいないと思うんです」と平林は言う。レフリーもまた、日々の努力を積み重ねたうえで、ピッチ上に立っているのだ。

(後編につづく)

平林泰三(ひらばやし・たいぞう)
1975年4月24日、宮崎県生まれ。5歳で父親がコーチを務めていた宮崎少年ラグビースクールに入る。宮崎大宮高校卒業後、レフリーを目指す。宮崎産業経営大学1年時にC級ライセンスを取得。2年時から豪州に留学し、ブリスベーンのGPSクラブでプレーする傍ら、レフリングを学ぶ。帰国後、日本IBMのコーチングスタッフを経て、2005年に日本、アジア初のフルタイムレフリーとなる。06年、31歳の史上最年少でA級ライセンスを取得。U−19およびU−21のW杯でのレフリー経験を経て、07年には欧州6カ国対抗戦でタッチジャッジを務める。

(斎藤寿子)
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