再選からわずか4日での退陣表明だ。去る5月29日、国際サッカー連盟(FIFA)会長選で5期目の当選を果たしたゼップ・ブラッターだったが、その4日後に緊急会見を開き、辞意を表明した。FIFA幹部経験者が複数逮捕される贈収賄事件が明らかになり、ブラッター会長自身にも捜査の手が及ぶと言われている中での電撃辞任。しかし、FIFAの金銭をめぐる疑惑が浮上したのは今回が初めてではない。ブラッターが2選目を果たした2002年の会長選でも、それは起こった。当時の原稿で、なんでもありの権力闘争を振り返り、FIFAの闇に触れてみよう。
<この原稿は2002年6月の『月刊現代』に掲載されたものです>

 まさしく「仁義なき戦い」の勃発である。
 パリ発の共同電によると、FIFA(国際サッカー連盟)のゼンルフィネン事務総長は4月18日付のスイス紙ルタンのインタビュー記事の中で「ゼップ・ブラッター会長が特別会計監査委員会の活動停止を命じたのは、私が同委に事実を暴露するのを阻止するためだ」と語った。

 さらに同事務総長は「ここ数ヶ月、FIFAの財務は正常に機能していない。いくつかの事項が事務総長である私を通さず会長とリンツィ財務部長の独断でなされている」とブラッター会長のやり方を痛烈に批判した。

 これには少々説明が必要だろう。FIFA内部に「特別会計監査委員会」が設置されたのは今年の3月のことである。ブラッター会長にはFIFAの巨額赤字の隠蔽工作、98年の会長選挙における賄賂などさまざまな疑惑があり、徹底調査を求める声が理事の間で高まっていた。水面下での綱引きの結果、臨時理事会において同委の設立が決定。ブラッター会長が24人からなる理事会において反対派に過半数を許したのは初めてのことであり、チューリッヒ(FIFAの本部)に激震が走った。

 ところが、理事会の正式な手続きを経て承認されたはずの「特別会計監査委員会」は一度も開かれることなく、ブラッター会長の突然の指揮権発動によって活動停止に追い込まれてしまう。ブラッター派が巻き返しに出たのである。なるほどFIFAを「魑魅魍魎たちの館」(ある日本サッカー協会幹部)とは言い得て妙だ。

 アジアで初めての開催となる日韓ワールドカップは5月31日、ソウルで幕を開けるが、その2日前の5月29日、世界のサッカーのリーダーを決めるFIFA会長選挙が行われる。
 立候補しているのは再選を目指すブラッター会長とアフリカ連盟会長でFIFA副会長も務めるイッサ・ハヤトゥの2人。ハヤトゥ氏は早々と「過半数の投票を得られると信じている」と勝利宣言を行なっている。

 先に仕掛けたのはハヤトゥ氏を支持するグループだ。昨年5月、マーケティング会社ISLが破綻したのを受け、先述したようにFIFA内部に「特別会計監査委員会」を設置するよう求めたのだ。これで使途不明金の存在を浮き彫りにし、ブラッター会長の失脚を狙う作戦だった。
 ブラッター会長は「FIFAが被った損失は3000万ドル(約36億円)に過ぎない」と大見得を切ったが、しかし内部報告書より、この約10倍の損失があることが判明した。

 時を同じくして英国紙デイリー・メールが報じた賄賂疑惑もブラッター会長に追い討ちをかけた。98年のFIFA選挙でブラッター会長(当時FIFA事務総長)はレナート・ヨハンソン副会長(欧州連盟会長)を1回目の投票(111対80)で得票数を上回り、決戦投票ではヨハンソン氏が辞退したため無投票で新会長の座に就くのだが、この投票を陰で仕切っていたのがブラッター会長の後見人であるジョアン・アベランジェ前会長だった。

 デイリー・メール紙はアフリカ連盟のファラ・アッド副会長の「アフリカの18人がブラッター候補への投票で賄賂を受け取った。投票前に5000ドル、投票後に5000ドルもらったという話だ」との証言をスッパ抜き、ブラッター会長を追い詰めた。

 もちろんブラッター会長は「これは私に対する中傷キャンペーンだ」とデイリー・メール紙が報じた疑惑をすべて否定。「報道は意図的に行われている」とオポジション勢力を牽制した。

 ならば、なぜ、「特別会計監査委員会」を活動停止に追い込んだのか。この際、すべてをガラス張りにしたほうが“身の潔白”は証明できるのではないか。この件については「ブラッターは何一つ疑問に答えていない」(ヨハンソン氏)との反ブラッター派の主張に分があるように感じられる。

 言うまでもなく反ブラッター連合の急先鋒は、ヨハンソン氏、鄭夢準副会長ら、4年前のFIFA会長選挙で一敗地にまみれた面々。FIFAに24年にわたって君臨したアベランジェ時代からの反主流派である。

 窮地に追い詰められたブラッター会長は、さらなる“頭痛のタネ”に見舞われる。去る4月8日、ワールドカップの放送権をもつドイツのキルヒがグループ中核企業キルヒメディアの破産申請を行なったのだ。グループの負債総額は65億ユーロ(約7500億円)、ドイツでは第二次大戦後最大規模の経営破綻である。

 これを受け、2002年と2006年のワールドカップ放送権などFIFA関連資産は破産管財対象から除外され、子会社のキルヒ・スポーツに移管されることになった。いわば緊急避難措置である。

 キルヒグループは創業者のレオ・キルヒが一代で築き上げたヨーロッパ有数のメディアグループ。放送事業の他、出版、映画などにも手を広げていた。行き詰まった直接的な原因は有料テレビの販売不振と見られている。

 実は倒産の直前まで“メディア王”ルバート・マードックのニューズコーポレーション系列の会社と、イタリアのベルルスコーニ―首相率いるメディアセットの関連会社の間で救済案が練られていたが、いずれも不調に終わった。決算書や会計帳簿を調べたところ、もうどうにも手がつけられないと判断したというのである。その一方で、ドイツのゲアハルト・シュレーダー首相が国内の放送局に外資が入るのを嫌ったとの説もある。

 昨年末、キルヒはドイツのドレスナー銀行からの融資4億6000万ユーロ(約540億円)の返済期間を迎えたが、債務返済の繰り延べ措置を受けていた。ドイツを中心にヨーロッパ中の銀行からカネを借りまくり、先に経営破綻に追い込まれたISLとともに2000年代初頭のワールドカップ放送の“卸問屋”となったキルヒだが、結局はこの債務超過が悲劇をもたらした。

 キルヒメディアがISLと共同で02年と06年のワールドカップ放送権を獲得したのが1996年。2大会分の放送料は実に28億スイスフラン(約2240億円)。これがいかに法外なものだったかは、FIFAがITC(国際コンソーシアム)との間で結んだ過去3大会(90年、94年、98年)の放送権料が5億7000万スイスフラン(約56億円)だったことと比べれば一目瞭然である。

 キルヒはヨーロッパ、ISLは非ヨーロッパ地域と“棲み分け”を行った上で放送権の販売にあたっていたが、ISLが倒産し、キルヒがすべてを引き継いだ時点で“積載量オーバー”は明らかだった。

 キルヒメディアの倒産はサッカー界のみならず、9月に行われるドイツの総選挙の行方にも暗雲を投げかけている。英国のフィナンシャル・タイムズ紙はバイエルン州が株式の50%を保有するバイエルン州立銀行がキルヒの債務保証をしていることは問題だとのシュレーダー政権の見解を紹介。同首相の対抗馬であるバイエルン州首相シュトイバー氏への“逆風”は避けられないとしている。

 話を戻そう。ISLの倒産以来、踏んだり蹴ったりのブラッター会長だが、どこまでも強気な姿勢を崩そうとはしない。キルヒメディアの経営破綻に対し、次のようなメディアインフォメーションを各国の協会に配信した。

「02年と06年の放送運営はすべて保護されるとの保証を得られた。FIFAワールドカップ放送権の実行および運営上の管理にはスイスに本社を置くキルヒ・スポーツに統合された。(中略)支払いは2002年に1月15日にキルヒメディアから12億スイスフラン(約960億円)を受け取った。残り1億スイスフラン(約80億円)もワールドカップ終了後20日以内に支払われることが債務銀行団によって保証されている」

 しかし、FIFAのこのインフォメーションを信用するものは、FIFAの関係者の中にはほとんどいない。「ならば、受領書を見せるべきだ」と冷ややかに言い切る者もいる。先述したように、ISLが倒産した際、ブラッター会長は「損失は3000万ドルに過ぎない」と言い切ったが、内部文書によりこの約10倍の損失があることが判明した。

「財務事情に明るいゼンルフィネン事務総長をブラッターが遠ざけるのは、つまり知られたくないことをすべて知っているからだ。彼の身に悪いことが起きなければいいが……」(JAWOC関係者)と不気味な不安を口にする者もいる。

(後編につづく)
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