雪崩事故から奇跡の生還、再び8000メートル峰へ――。
 日本人初の8000メートル峰の全14座制覇を目指す「14 Project」が再び始動する。これまで日本人最多タイの9座登頂を果たした登山家の竹内洋岳氏が、さる5月15日、都内で会見を行い、今夏、10座目となるヒマラヤ山脈、パキスタンのガッシャブルム2峰(8035メートル)に再挑戦することを表明した。
(写真:日本人初の8000メートル峰の全14座制覇を目指す登山家・竹内洋岳氏)
 世界最高峰で知られるエベレストをはじめ、8000メートルを超える山は、世界中で14座。そのすべての頂に立った日本人はいない。世界でも14人しか成功していない過酷な挑戦だ。
 1986年、イタリアのラインホルト・メスナー氏が人類初の8000メートル峰全山登頂を果たした。翌年にポーランドのイイジ・ククチカ氏が続いたが、同氏は89年、第4位峰・ローツェ登頂の際に死去。日本人では、山田昇氏、名塚秀二氏(いずれも故人)が9座登頂を果たしている。(山田氏は1989年、マッキンリーで死去。名塚氏は2004年、10座目となるヒマラヤ・アンナプルナへの挑戦中に、雪崩に巻き込まれて死去した)

 竹内氏は24歳だった1995年、マカルー(8463メートル)登頂に成功したのを皮切りに、96年には8848メートルの世界最高峰エベレスト、2006年には最も過酷といわれる第3位峰(8586メートル)のカンチェンジュンガを無酸素で登頂するなど、現時点で8000メートル峰登頂日本人最多タイとなる9座の登頂に成功している。
 2007年5月、9座目となるマナスル(8163メートル)登頂後、同年7月に10座目となるガッシャブルム2峰(8035メートル)に挑む途中、ラストキャンプ手前で雪崩に巻き込まれ、氷壁を300メートル落下。2名が亡くなったこの事故で、竹内氏は海外の登山家らに救助され、背骨骨折、肋骨を5本折るなど重傷を負ったが、奇跡的に再び山に挑めるまでに回復した。現在も背骨にはチタンシャフトが埋め込まれたままだが、登山中の違和感はないという。
 竹内氏は、6月2日に日本を出発、パキスタン入りし、1年前に雪崩事故に遭ったガッシャブルム2峰に再び挑む。さらに成功後には、引き続きブロードピーク(8047メートル)制覇を目指す。

 竹内氏、語る「心はまだあの場所に残されたまま」(※会見より抜粋)

 日本ではまだ誰も14座登頂に成功していないが、日本にもヒマラヤの8000メートル峰に命をかけて挑み、道半ばにして倒れた人たちがいる。彼らの熱意を受け継ぐチャンスが、今こそ私に巡ってきたと確信している。情報も登山用具も恵まれている今、彼らと同じような登山では、彼らが熱意を燃やした山に失礼だと思っている。無酸素、アルパインスタイル(少人数での軽量化、スピード化の登山)、継続登山、バリエーションルート(一般的な縦走路以外の難関ルート)と、自分の登山をさらに高め、より困難に、進化したかたちで14座を達成したい。何よりもフェアに、自分にしかできないスタイルで挑みたい。

 昨年5月、日本人タイ記録の9座目となるマナスル登頂を果たした。継続して、7月に10座目のガッシャブルムに挑む途中、もう少しでラストキャンプというところで、頭上から雪崩が起きて、それまで登っていた氷の壁を、標高差にして約300メートル、滑り落ちた。気がついたときには目の前が真っ暗。「これは雪の深いところに埋まってしまった」と。雪の中で人間は15分間生きていると聞いたことがあった。自分もあと15分生きるのだろうか、何をすればいいんだろうか……と。
 しかしそこで、誰かが私をそこから助け出してくれた。私たちと一行程違いで下のキャンプに入っていたスイス隊、アメリカ隊、ドイツ隊、スペイン隊のメンバーが、私たちが雪崩に巻き込まれて行くのをたまたま見ていて、助けにかけつけてくれた。左手だけ雪の上に出ていた私を堀り出してくれた。そして何人かで抱き抱え、テントまで運んでくれた。

 あとで分かったことだが、背骨が一つ粉々になっていて、肋骨が5本折れて、肺が一つ潰れていた。呼吸困難に陥り酸素ボンベをあてがわれたが、錯乱状態でマスクを外してしまうので、各国のメンバーが、一晩つきっきりでマスクを当て、声をかけてくれた。酸素は使いかけで一晩持たないことはわかっていた。モルヒネを打ってくれたドイツ人のドクターからは「おそらく君は明日まで持たないから、今のうちに家族にメッセージを残しなさい」と言われた。その状況の中で、一人のドイツ人登山家が単身でC2からC1まで真っ暗な中を下り、新しいボンベを荷上げしてくれた。その酸素を吸って、私は生き延びた。次の日には、そこにいた各国のメンバーが自分たちの登山を中断して、ヘリコプターが止まれるところまで私を運んでくれた。

 通常では助からないところを、いろんなラッキーが重なって私は助かった。帰国して手術を受ける際には、医者から「これだけ背骨が崩れたら、通常であれば半身不随になってもおかしくない」と言われたが、奇跡的に何の後遺症も残らなかった。
 事故では2人が亡くなってしまった。私の命を助けてくれた多くの方に、私はどんなに感謝してもお礼が言いきれない。
 だからこそ、私は山に戻って、登り続けること、その姿をいろんな人に見てもらいたい。それが私にできる唯一の姿勢なのではないかと思っている。私と、私を助けてくれた彼らを結びつけてくれた山で、助けられた命を燃やすことが使命だと思っている。14座に登り続け、登り切ることは、私にしかできない、私こそがするべきチャレンジだと思っている。

 登山とは、自分の足で登り自分の足で下りてくる、「自己完結」の中にあるべきだと考えている。ガッシャグルムでは多くの人たちの献身的な救助で助かったが、私は自分の足で下りることができなかった。
 今でも目を閉じると、雪崩に巻き込まれた瞬間を思い出す。心はいまだ、あの場所に残されたままのように感じている。自分の足であの場所に戻り、そこに残された心を拾い上げて、自分の足で頂上に立ち、そして自分の足で下り、失われたままになっている「自己完結」というリングのパーツを取り戻したい。
 今回の「14 Project2008」は「再スタート」とも言われるが、雪崩が起きたガッシャブルムのあの場所が自分にとってのスタートライン。自分はまだスタートラインのずっと手前にいる。まず、あのスタート地点に立って、一歩を踏み出し、再び14座に挑んでいきたい。

 自分への新たな課題として、14座登頂を「いつかやる」のではなく、「必ずやる」という意味も込めて、あと3年のうちに完登したい。そして3年間で「14座」という言葉に生命力を与えたい。14という数字を見たときに、多くの人にヒマラヤや14座に命をかけて挑む人がいることを思い出して欲しいし、チャレンジする気持ちを、若い世代が受け継いでほしい。

 私の背骨にはまだ手術のときのチタンシャフトが埋め込まれているが、6月2日に出発して、再び事故に遭ったガッシャブルグに戻る。必ず登頂して、皆さんに良い報告をしたい。

★竹内洋岳公式ブログ

ヒマラヤ8000メートル峰14座一覧 ※山名(標高m)所在国
エベレスト(8848m)ネパール・中国
K2(8611m)パキスタン・中国
カンチェンジュンガ(8586m)ネパール・インド
ローツェ(8516m)ネパール・中国
マカルー(8463m)ネパール・中国
チョ・オユー(8201m)ネパール・中国
ダウラギリ?峰(8167m)ネパール
マナスル(8163m) ネパール
ナンガ・パルバット(8126m)
アンナブルナ?峰(8091m)ネパール
ガッシャブルム?峰(8068m) パキスタン・中国
ブロード・ピーク(8051m)パキスタン・中国
ガッシャブルム?峰(8035m)パキスタン・中国
シシャパンマ(8027m)中国

(世界8000メートル峰14座をわかりやすく描いた図は竹内氏が作成。「子どもたちにも、ポケモンの名前を覚えるように14座の名前を覚えてもらいたい」と竹内氏)