今月24日に開幕のする世界水泳選手権。史上初の男子シンクロナイズドスイミング日本代表として、安部篤史が出場する。安部の所属するトゥリトネスは、プールを舞台にしたパフォーマンス集団。トゥリトネスは、元水泳日本記録保持者の不破央が回り道の末に見つけた人生のステージである。教え子を世界の舞台へと導いた不破。彼が魅せる人生のステージの一幕を、13年前の原稿で紹介しよう。
<この原稿は2002年11月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 水をしっかり掻いているはずなのに後ろに進む。後頭部に面をつけ、クロールなのに背泳に見せる。
 水泳の高度な技術にシンクロや飛び込みの魅力をミックスさせ、ギャグやコントを交えてプールサイドの観客を笑いの渦に巻き込む。世界中に道化師は星の数ほどいるが、「水の道化師」は彼らだけ。プールを舞台にしたクラウン・パフォーマンス集団「TRITONES(トゥリトネス)」なるグループをご存じか?

 「水上サーカス? いや、僕らの場合は大道芸に近いかな。コミックがメインですから」
 リーダーの不破央はやわらかい視線をこちらに向けて言った。

 女性用水着を身につけての登場は、それだけでプールサイドをなごませる。
「チャップリンの映画でそういうのがあったんです。演技の見本になりますね」

 不破の経歴は一風、変わっている。
 学生時代は一世を風靡した水泳選手だった。平泳ぎで頭角を現し、15歳でロス五輪代表候補にまでなった。
 なにしろ足が異様にデカかった。小学5年で28.5センチ。まさに水泳をやるために生まれてきたような少年だった。

 ところが好事魔多し――。

 ロス五輪代表選考会の3か月前、あろうことか練習場のプールでマンホールに落っこちてしまう。ヒザを負傷し、丸々1か月間、練習から遠ざかった。
 代表枠は3人。若い不破は「100メートルで1分5秒00より速ければ五輪に連れていく」と、水連からノルマが課せられた。

 果たして、代表選考会のタイムは……1分5秒10。わずか10分の1秒、ノルマの数字に足りなかった。

「オマエ、もしかしたら、悪い星の下に生まれているんじゃないか」
 コーチの発した何気ない一言が胸に刺さった。

 一念発起して臨んだオリンピック後の日本選手権で優勝した。その後もしばしば、日本
記録も塗り替えた。
 1986年の世界選手権では6位入賞を果たした。さらにはその年のUSオープンに出場して優勝。この時マークした1分3秒17というタイムは、同年の世界ランキング4位だった。

 振り返って不破は言った。
「笑われるかもしれませんが、あの頃は日本記録や優勝にあまり興味がなかった。僕が狙っていたのは世界新記録、それも半端じゃないタイムを狙っていました。
 当時の世界記録は1分1秒(100メートル平泳ぎ)だったのですが、僕は58秒台を狙っていた。僕もコーチも、それを信じていた。ちなみに58秒は未だに出ていないんですが(笑)」

 しかし、このあたりまでが不破のピークだった。腰を痛め、練習もままならなくなった。88年のソウル五輪も、選考会の決勝で敗れた。
「今だから言えますけど、当時は悩みに悩みました。ノイローゼ寸前にまでなり、死ぬことも考えました。でも水の中では死なないようにしようとか……(笑)。誰にも相談できなかったですね」

 大学を卒業した不破は国体開催関連の企業に就職するが、2年後、現役引退とともに会社も辞めた。心の中にポッカリと大きな穴があいた。

「来年の春から何をしようか……」
 真っ先に考えたのは舞台美術の仕事だった。不破は子供の頃から粘土細工や絵を描いたりすることが好きだった。学生時代には青山劇場に通った。ミュージカルを見て、その内容よりも舞台づくりや照明に興味を持った。

 ツテを頼って仕事を求めた。しかし、全く相手にされなかった。
「水泳の実績と舞台美術は違う。あなた、週に何本映画を観ているの?」
 逆に説教をくらった。自分は何がやりたいのか、何をやるべきなのか……?

 ある日、電車に乗っていて、ふと一枚のポスターが目に入った。そのポスターには砂漠の中で苗木を持って立つ日本人の姿が描かれていた。それは「青年海外協力隊募集」のポスターだった。

「井戸を掘る仕事なのかなァ……」
 不破は漠然と考えながら応募した。

 試験に合格した不破は水泳の指導者としてグァテマラに派遣された。プールには水が入っておらず、かわりにヘドロがへばりついていた。不破は自らデッキブラシを持ち、掃除を始めた。

「世界ランカーのオレが、こんなところで何をしているんだろう……」
 涙がこぼれそうになった。

 しばらくして、街の中で不破のことが話題になった。ひとりでプールを掃除している東洋人……。現地の人々の不破を見る目が明らかに変わった。
 自らがデッキブラシを持って掃除したプールに飛び込み、歓声を上げている子供たちを見て不破は思った。

「オレはやっぱり、水泳が好きなんだなァ……」

 不破の言葉を借りれば、「勝負ではない水泳との再会」だった。夏の日、時間が経つのも忘れて水泳を楽しんだ子供の頃の記憶が甦った。

「水の中でピエロをやろう」

 帰国後、不破は芝居仲間と元シンクロ選手を誘い、トリオを結成した。無我夢中だった。何しろ、世界で誰も経験したことのない職業なのだ。何をやればウケるのか。自問自答の日々が続いた。

「そんな、ある日です」

 不破は再びやわらかい視線をこちらに向けた。
「養護学校でショーに呼ばれた時です。中に筋ジストロフィーの子がいた。その子はしゃべれないんです。コミュニケーションの手段は握力のみ。“おもしろかった?”と聞くと、キュッと握って離さない。それを見た先生が泣き出した。僕らのやっていることは間違ってない!と、初めて確認できた気がしたのです」

 不破は今、この仕事を天職だと思っている。いかにして人を笑わせるか、喜ばせるか。水しぶきの向こうに見え果てぬ夢が広がっている。
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