5日、世界陸上競技選手権(8月・北京)の日本代表選考会を兼ねた「第99回日本陸上競技選手権大会混成競技」最終日が長野市営陸上競技場で行われた。男子十種競技は右代啓祐(スズキ浜松AC)が8058点で制し、歴代単独2位となる6連覇を達成。これにより右代の世界選手権代表入りが決まった。女子七種競技はヘンプヒル恵(中央大)が5622点で初優勝した。
(写真:全レース後には各選手が健闘を称え、肩を抱き合って記念撮影)
 走る、投げる、跳ぶ――。陸上競技の三大要素全てをこなすのが十種競技である。いわば陸上のオールラウンダーが挑戦する競技であり、その頂点に立つ者を「キング・オブ・アスリート」と呼ぶ。日本の王座に今年も君臨したのは、右代だった。

 今シーズン、昨秋のアジア競技大会(韓国・仁川)金メダリストの右代に対し、同大会で銅メダルを獲得した中村明彦(スズキ浜松AC)の成長は著しかった。今年の日本グランプリシリーズの日本選抜陸上和歌山大会で右代に勝った。右代にとって、6年ぶりの国内敗戦だった。さらに中村はアジア選手権大会(中国・武漢)も制す。無敗のまま、長野に乗り込んできた。

 2日間で100メートル、400メートル、1500メートル、110メートルハードル、砲丸投げ、円盤投げ、やり投げ、走り幅跳び、走り高跳び、棒高跳びの、計10種目の合計得点を争うのが、十種競技だ。初日の第1種目は100メートル走。ここでスタートダッシュを仕掛けられるか。スプリント系種目を苦手とする右代にとっては、第一関門と言ってもいい。

 小雨がぱらつく中、第1組に登場した右代の記録は11秒35だった。自己ベストにも及ばず、784点で20人中18位と大きく出遅れた。一方、ライバルの中村は10秒71で926点をマークし、好スタートを切った。その中村をさらに上回る走りを見せたのが音部拓仁(富士通)だ。10秒53を叩き出し、武井壮の持つ十種競技の種目別日本記録(10秒54)を塗り替え、968点でトップに立った。

「引きずっても変わらない。過去の記録をいじることはできないので、とにかく終わったものは終わったもの」と切り換えることができるのが、デカスリート(十種競技選手)として必要な資質であり、右代の強みだろう。次の種目は走り幅跳び。右代は2回目の試技で7メートル01を跳び、順位を上げる。しかし、中村は7メートル40、音部は7メートル43を記録し、得点差はさらに開いた。
(写真:幅跳びは3回とも思い切りのいい跳躍が出来、「波に乗れた」と振り返った)

 3種目目の砲丸投げは、右代の得意な投てき種目。身長196センチと日本人離れした体躯からのパワー系の種目で得点を稼ぐ。今年5月にはオーストリアで十種競技のトップ選手が出場できるハイポミーティング・ゲーチスに招待され、世界のトップレベルの技術を間近で触れる機会があった。そこで得た投てきのコツを右代はうまく生かす。2回目の試技で15メートル65を投げ、自身の持つ十種競技の種目別日本記録を更新した。順位も一気に3位まで上げた。

 走り高跳びで2メートル03を跳び、右代の総合順位は暫定で2位になったが、400メートル走では50秒52で合計点は4052点。初日を終えた時点では、音部が4191点でトップ。中村は4149点で2位につけ、右代は4052点で4位だった。単純計算で言えば4人が8000点を狙える。後半を得意とする右代にとっては、まずまずの折り返しだった。

 一夜明けて後半戦のスタートは110メートルハードル。前日の夜に降った雨も止み、徐々に日差しも出てきた。好記録を後押しするようなコンディションへと空も味方し始めた。右代は110メートルハードルを15秒フラットで駆け抜ける。総合順位をひとつ上げ、円盤投げへ進む。円盤投げはハイポミーティング・ゲーチスでも全体トップに立った種目。投てき種目の中でも好感触を得ていた。

 雄叫びに乗せ、2キロの円盤を投げ飛ばした。1投目は30メートル40といまひとつの記録だったが、2投目47メートル65と記録を伸ばすと、3投目は49メートル33とビッグスロー。856点を上乗せし、順位もジャンプアップさせた。7種目目を終了した時点で、ついに単独トップに立った。
(写真:円盤投げでは2位に10メートル以上の差をつけた)

 ここで油断する男ではない。続く棒高跳びは6年前記録なしに終わり、優勝と世界選手権出場の可能性が潰えた種目。4メートル60と最初の跳躍を一発でクリアすると、4メートル70と4メートル80もミスなく成功した。自己記録に並ぶ4メートル90は3回の試技とも失敗に終わったが、6月中旬にNTCで合宿し、強化してきた種目。平行棒、つり輪などの体操競技を取り入れたトレーニングで右代は「確実にレベルアップし、5メートルも見えてきた」と、この日は叶わなかった大台突破に自信を見せた。

 砲丸投げ、円盤投げと好記録が生まれた投てきだったが、右代に落とし穴もあった。得意のやり投げの自己記録は73メートル06とスペシャリストに近い数字を残す。風は肌で感じるほどの向かい風が吹き始めていた。しかし「逆風は得意。“狙うぞ”と冷静さを欠いた」と好条件が力みを生んでしまった。3投して最高記録は61メートル72で764点。800点以上は最低稼ぎたいところで、700点台にとどまり、本人は「大失敗」と振り返った。

 最終種目1500メートル走を残し、右代の得点は7371点、2位の中村は7140。231点差も決してセーフティーリードとは言えない。自己記録は右代が4分32秒62、中村は4分8秒24と、得点で換算すると170点近い差がある。中村がベストを出し、右代が思うようなタイムを残せなければ逆転もあり得た。号砲が鳴ると、逆転を狙う中村が先頭を走り、集団を引っ張る。右代は8番手あたりにつけた。

 陽は沈み、涼しい風が場内を舞う中、優勝争いは徐々に熱を帯びていく。スタンドにいた観客もトラックの周りまで下りてきて、選手に声援を送る。「十種競技にはドラマがある」と、かつて右代は語っていた。戦っている選手だけでなく、応援団や観客すべてが共演者としてひとつのステージを構成していた。

 先頭を争っていた中村も、最後は中京大の後輩に競り負けた。4分20秒73と自己記録からは遠く及ばない記録で807得点どまり、合計得点でも7947点と8000点台に届かなかった。一方の右代は4分38秒97でフィニッシュし、687点を加え、8058点で逃げ切った。死力を尽くした中村、右代を含めた選手たちはゴールをすると、次々とトラックに倒れ込んでいった。これも2日間10種目のハードなスケジュールをこなす競技によく見られる光景である。試合後は勝者敗者関係なく、全員が観客に向かって、一列に並んで挨拶。舞台のカーテンコールを見るようだった。
(写真:最終種目1500メートルを走り終えると、精根尽き果てた選手たち)

「焦る部分もあった」という右代だが、終わってみれば主役は、やはりこの男だった。これでV6を達成。単独2位となり、歴代トップの金子宗弘の7連覇に、あとひとつと迫った。「相手に勝つためじゃなく自分自身と戦う」。その結果が、6年連続の優勝をもたらした。次なるステージは8月の世界選手権。右代は「メダルを目指す」と、長野の地で力強く宣言した。

 最終日の結果は次の通り。

<男子十種競技>
1位 右代啓祐(スズキ浜松AC) 8058点
2位 中村明彦(スズキ浜松AC) 7947点
3位 音部拓仁(富士通) 7725点

<女子七種競技>
1位 ヘンプヒル恵(中央大) 5622点 
2位 桐山智衣(モンテローザ) 5536点
3位 澤田珠里(東京学芸大) 5250点
(写真:桐山<左>の3連覇を阻み、初Vのヘンプヒル<中央>)

※選手名の太字は世界選手権代表に内定

(文・写真/杉浦泰介)