北海道日本ハムのファームが拠点とする千葉・鎌ヶ谷球場を訪れると、真夏の強い陽射しが照りつける中、社会人チームとの試合が行われていた。しかし、マウンド、ベンチ、ブルペン……どこを見渡しても背番号「33」の姿はなかった。
「実は今、ケガをしちゃっているんです……」
 試合後、応接室に現れた彼はそう説明してくれた。脇腹の不全骨折。過度のトレーニングが原因だという。
「他の選手が投げているのを見るのって、辛いんですよねぇ。自分も動きたくなってしまう」
 屈託のない笑顔の裏に悔しさがにじんでいた。
 矢貫俊之、25歳。ドラフト3位で日本ハムに入団した彼は今、我慢の日々を過ごしていた。
 2009年4月3日、プロ野球が開幕した。満員の札幌ドームには、開幕一軍入りを果たした新人の大野奨太(東洋大)と谷元圭介(バイタルネット)の姿があった。さらに数日後には同じ新人の榊原諒(関西国際大)も一軍に昇格した。次々と華やかな舞台へ羽ばたく同期たち。そんな中、即戦力との期待が大きい大学生、社会人出身としては、ただ一人、矢貫だけがファームにいた。しかもその頃、矢貫に用意されたのはイースタン・リーグではなく、若手育成を目的とされたフューチャーズ戦でのマウンドだった。周りは高校を卒業したての新人や育成選手ばかりが集まっていた。
「なんで、オレがここで……?」
 25歳、ドラフト3位の矢貫には自分の置かれた状況に納得することができなかった。
 そんな彼を救ってくれたのが、小林繁投手コーチだった。
「投げさせてもらっているだけで幸せだと思わなくちゃダメだぞ」
 その言葉にハッとさせられた。

 矢貫は福島県出身だが、プロになるなら甲子園で活躍することが早道だと考え、名門・仙台育英高校(宮城)に進学した。ところが入ってみると、甲子園どころの話ではなかった。3年間、矢貫には一度もベンチ入りの機会さえも与えられなかったのだ。悔しさを胸に進学した常磐大学では、主力投手として活躍した。その時感じたマウンドで投げる喜びを、矢貫はいつの間にか忘れてしまっていたのだ。
「小林コーチに言われて、そのことに気づかされました。それからはフューチャーズであろうと、感謝しながら投げるようになりました」と矢貫。モヤモヤ感が少し晴れたような気がした。

 現在、ファームでの成績は7試合(27回2/3)に登板して1勝2敗、25失点、防御率7.16。やはり失点の多さが気になるところだ。本人によれば、自分の中では緩急をつけているはずなのに、なぜかストレートも変化球も同じようなリズムで打ち返されていた。「球種を読まれているのではないか」と思ってしまうほど、パーン、パーンとタイミングが合ってしまうのだ。そこで、矢貫は小林コーチにアドバイスを求めた。指摘されたのは“間”だった。

「小林コーチには僕のピッチングとバッターのスイングのタイミングがピッタリと合ってしまっていると言われました。まるでこっちから“打ってください”といわんばかりに、バッターにタイミングを合わせて投げてしまっていると。つまり、僕にはバッターを崩す“間”がつくれていなかったんです。なるほど、と思いました。それからはバッターが自分のピッチングにどう反応するのか見たりして、 “間”の取り方を研究しています。少しずつですけど、できるようになってきたかなと思っています」

 未だ1軍でのマウンドには立っていないものの、春のキャンプでは稲葉篤紀など一線で活躍する打者を相手に投げたこともある矢貫。果たして、アマチュアとプロの違いをどのように感じているのだろうか。
「思い切りのよさが違いますね。これは一発勝負のトーナメントとリーグ戦との違いもあるかもしれませんが、社会人は0−2や1−2といったバッティングカウントでも、負ければ次はないという気持ちから、どうにかして次につなげようと、チョコンと当ててくる感じだったんです。ところが、プロは違います。しっかりとスイングしてくるんです。だから、カウントを取りにいこうと今までのように簡単に変化球を投げたら、一発でやられてしまいます。変化球を投げるにしても、しっかりと腕を振っていかないと、プロのバッターを打ち取ることはできないんです」

 時に迷い、時に悩みながら、1月の合同自主トレから半年間、矢貫は少しずつステップアップを図ってきた。順調とはいえないまでも、前進していることだけは確かだった。そんな彼にまたも試練が訪れたのは7月に入ってからだった。過度のトレーニングによる脇腹の不全骨折。現在はリハビリ中で本格的な練習は少し先になりそうだという。
「野球をすることが仕事なのに、動けないなんてきついですよね。でも、この前言われたんです。“ケガをしている時期は、他の選手を見て勉強できる大事な時期なんだよ”って。今までは練習というと、体を動かすことでしかなかったんですけど、今は体は休めて頭を動かす時期なんだなと考えています」

 入団して実感したのは、プロは1軍で活躍してなんぼの世界だということ。今はまだ、矢貫の名前を聞いても「そんな選手いるの?」と言われることも少なくない。「日本ハムの矢貫」と言えば、すぐにわかるくらいの認知度があって、初めて「プロ」といえる。矢貫はそう考えている。

 札幌ドームに自らの名前がこだまする日が訪れることを信じ、矢貫は今、鎌ヶ谷の地でプロとしての「心・技・体」を磨いている。


矢貫俊之(やぬき・としゆき)プロフィール>
1983年12月15日、福島県出身。甲子園を目指し、仙台育英に進学するも、公式戦登板なしに終わる。常磐大ではリーグ通算10勝を挙げ、06年に三菱ふそう川崎に入社。主力投手として都市対抗大会出場などチームに大きく貢献した。08年ドラフト3位で北海道日本ハムに入団した。190センチ、88キロ。右投右打。

(斎藤寿子)

>>入団前のインタビュー「高校時代の悔しさがバネに」はこちら(2008年12月更新)