1日、第80回都市対抗野球大会決勝戦が行なわれ、ホンダ(狭山市)がトヨタ自動車(豊田市)を破り、13年ぶり2度目の優勝。念願の黒獅子旗を掴み取った。個人でもホンダは橋戸賞(MVP)に4試合に登板し3勝を挙げた筑川利希也、首位打者に通算打率5割7分9厘をマークした長野久義、若獅子賞(新人賞)には決勝で好リリーフを見せた須田幸太(JFE東日本からの補強選手)が輝いた。そのほか、久慈賞(敢闘賞)に佐野比呂人(トヨタ)、打撃賞に松田孝仁(東京ガス)、若獅子賞に榎田大樹(東京ガス)、村尾賢吾(日立製作所)がそれぞれ受賞した。
 今回の都市対抗はどのチームにとっても、例年以上に大きな意味合いを持っていたことだろう。選手たちは皆、危機感を募らせながら大会に臨んでいたはずだ。周知の通り、企業スポーツが取り巻く環境はより厳しいものになっているからだ。

 昨年、米国から端を発した「100年に一度の経済危機」は国内企業の経営を急速に悪化させた。その余波はスポーツ界にも広がっており、西武のアイスホッケー部、オンワードのアメリカンフットボール部、ミキプルーンのテニス部、沖電気工業の陸上部、NECの男子バレーボール部……と休部・廃部を決定する企業が未だ後を絶たない。

 なかでも年末に発表されたホンダのF1からの撤退は国内スポーツ界を震撼させた。ホンダが国内メーカーとして初めてF1に参戦したのは1964年。その後、活動休止時期もあったが、エンジン供給、車体技術協力といったかたちで活動を続け、2005年からは100%出資チームとして参戦してきた。今や国内においてF1はホンダの「顔」ともいうべきものだった。それを「活動休止」ではなく、完全なる「撤退」に踏み切ったのだ。そんな中、野球部が負ったプレッシャーはいかばかりだったか。それは安藤強監督の優勝コメントにも如実に表れていた。

「今年になっていろんな風が吹く中、選手が本当によくついてきてくれた。いろんな風が吹く中で、いろんな人に支えられながらなんとか頑張ってきた。優勝は応援してくれた皆さんへの感謝の気持ち」
 感慨深げにインタビューに答える安藤監督。うっすらと目に浮かべた涙からは、チームが負ったプレッシャーの大きさがうかがい知れた。

 今回の不況のあおりを受けたのはホンダばかりではない。ベスト4の日産自動車などは陸上部、卓球部とともに今シーズン限りでの休部が決定しており、都市対抗は今回が最後となった。そのため、試合後は選手をはじめ、観客の中にも涙する者も少なくなく、悲愴感が漂っていた。

 現在、日本野球連盟には85の企業チームが登録している。最も多かった1963年には237チームあり、半世紀で約3分の1に減ったことになる。景気は未だ好転したとはいえず、企業スポーツにとっては今後も厳しい状況が続くと予想される。こうした中、社会人野球を統括する日本野球連盟では企業の負担を軽減するよう、一部大会の開催方式を変更するなどの改革案も出ている。果たして今後、どのような道を歩んでいくのか。社会人野球は今、大きな転換期を迎えている。