9月23日、巨人が中日との直接対決を制し、リーグ優勝を決めた。V9以来の3連覇に導いた原辰徳監督は現役時代の背番号と同じ「8」度、宙に舞った。そしてその4日後、今度はジャイアンツ球場で再び「GIANTS」のユニホームが宙を舞った。イースタン・リーグの2年ぶり23回目の優勝だ。歓喜の輪の中に背番号「56」はいた。巨人では唯一の大学生ルーキー仲澤広基だ。1年目の今シーズンは、大学までとは違うプロの厳しさを痛感したという仲澤。しかしだからこそ今、彼は自信をつかみつつある。果たして、どんなシーズンを送り、何を得たのか。シーズン終盤、ジャイアンツ球場に仲澤を訪ねた。
 9月21日、仲澤は「9番セカンド」で先発出場した。5月に骨折して以来、復帰後もフューチャーズでの出場や代打出場が多かったという仲澤は、公式戦でのスタメン出場は久々だった。
 1打席目、初球から振っていったが、高めのストレートを打ち上げライトフライ。2打席目、今度は粘りを見せた。2−1と追い込まれるも、低目の変化球をきっちりと見送り2−2とした。さらに3球続けてファウルで粘る。しかし8球目、変化球をひっかけサードゴロに倒れた。そして最後の打席となった3打席目は2−2からの5球目、外角直球に思わず手が出て体勢を崩しながらの空振り三振。この試合、仲澤は3打数無安打に終わった。

「やっぱり大学とはピッチャーのレベルが違いますね。真っすぐはスピードもあるしキレもある。変化球も豊富なピッチャーばかり。それでも骨折をする前までは結構打つことができていたので、自信がないわけではないんです。でも、スイングスピードはもっと上げないといけません。大学ですと、変化球勝負のピッチャーが多いんです。でも、プロは真っすぐで勝負してきますから、速い球にまだ負けてしまって、詰まることが多いんです」

 広角なバッティングが売りの仲澤はプロ入り前、自らの課題として挙げていたのが「外の変化球」と「インコースへのまっすぐ」。現在は外の変化球には対応できるようになったが、やはりインコースに速いボールがくると、まだ差し込まれてしまう。これを克服するためにもスイングスピードを上げていきたいと仲澤は言う。

 仲澤のバッティングフォームは実にコンパクトだ。身長は181センチと決して小さい方ではないが、まるでバントでもするかのようにヒザを十二分に曲げ、身体を低く構える。果たして、その意図とは何なのか。
「自分はそれほど飛距離があるわけではないので、粘り強さを出していきたい。そういう意味で、ある程度ヒザの柔らかさをもっていると、低めの変化球にも対応することができるんです。
 ただ、あまり縮こまっているのはよくありません。大学4年の時から今のような構えにしたんですけど、当時はもっと低く構えていたんです。そしたら、甘い球に対しても体勢が崩れてしまったんです。本来ならヒットにできるボールが打てなくなってしまって、逆に難しいボールに手を出してしまうようになってしまった。だから、自分としてはあまり低くならないようには意識しているんですけどね。でも、追い込まれるとどうしても、ボールに喰らいついていこうとする分、構えが低くなってしまうんです」
 どうやら試行錯誤の日々が続いているようだ。

 一方、守備の方はというと、今では内野の全てのポジションに対応できるようになっている。大学時代はサードを守っていた仲澤には、セカンドやショートの複雑な動きは容易ではない。しかし、今ではおおよその動きがスムーズにできるようになってきた。それでも課題はある。この日も仲澤は試合後、勝呂壽統コーチの下、特守を行なった。

 これまでやってきたサードよりも複雑なセカンドやショートの動きを少しでも体に染み込ませようと、仲澤は必死だ。その日、何度も繰り返し練習していたのはセカンドからファーストへのランニングスローの際のステップだ。通常、右手で投げる際は左足を踏み足にするが、それではファーストへ投げる際に体のひねりが必要になる分だけロスになる。このロスをなくすには、捕球する際に左足を出し、そのまま右足を一歩踏み込んでファーストへスローイングする。これが最も速いやり方だ。しかし、頭でわかっていても、すぐに体は反応はしないものだ。仲澤も悪戦苦闘しながら、それこそ何度も何度も繰り返し練習を行なっている。

 また、試合では二遊間の打球をグラブに触りながら捕れずにヒットにしてしまったシーンが2度あった。記録上はエラーではなくヒットとなったが、仲澤は納得いかなかったのだろう。特守では勝呂コーチに同じコースにノックを打ってもらい、ボールに喰らいついていた。
「自分は派手なパフォーマンスというよりも、粘り強いプレーを持ち味にしているんです。だからこそ、コーチからは球際に強くなるように言われています」と仲澤。マイナスの感覚を翌日に持ち越さないよう、ミスしたことはその日のうちに練習でプラスの感覚にかえるのだという。
「大学の時は、すぐに気持ちを切り替えて、次の試合に集中するだけでよかったんです。でも、プロは試合が長いので先を見ていかないといけません。それに明日よくても次の日がダメなら、プロではダメなんです。だからこそ、先を見て、少しでも練習で克服していかないといけないんです」
こうしたプロとしての意識の高さが、精神的にも技術的にも仲澤を成長させている。

 今季は一軍デビューを果たすことはできなかったが、ファームではイースタンリーグ開幕からレギュラーを張り、上々の滑り出しを見せていた仲澤。ところがその矢先の5月に試合で帰塁した際に右手の人差し指を骨折。出場機会は激減し、苦しい時期が続いた。しかし、その時期を彼は決してムダにはしなかった。捕球だけなら練習はできると、それまでファーストで出場していた仲澤だが、チャンスを広げるためにもセカンドとショートの守備練習に没頭した。それが功を奏し、今では内野のどのポジションも無難にできるようになった。選手層が厚い巨人だからこそ、自らのチャンスを広げることが一軍への近道にもなり得る。いや、待っているばかりではチャンスは巡ってくることさえもないかもしれないのだ。仲澤にはそのことが十分にわかっている。だからこそ、一日もムダにはしないのだ。

 入団間もない1月の新人合同自主トレーニングでは、ベテラン選手が参加することもあったという。当時、サードだった仲澤は主力の一人である小笠原道大と並んでノックを受けた。偉才を目の前にして冷静になることができなかった仲澤は、ほとんど自分のプレーをすることができなかった。
「今の自分じゃ、一軍では絶対に通用しないな……」
 早くも力不足を痛感した。しかし、今はその時とは違うと仲澤は言う。
「今なら自信をもっていけると思っています。あの時とは精神面が全然違いますから。よくコーチに言われるんです。『二軍慣れすると、一軍に行った時にプレッシャーで自分のプレーができなくなる。だから二軍にいる時から常に一軍の選手と同じようになるように、プレッシャーをかけて戦いなさい』って。だから、精神面ではだいぶ鍛えられたと思います」

 もちろん、来季こそ開幕一軍を目指している。そのためにも今秋のフェニックス・リーグでの活躍がカギを握ると仲澤は見ている。
「フェニックス・リーグでしっかりとアピールすることが、来季につながると思っています。そしてオフではしっかりと体づくりをして、来春のキャンプにはベストで入れるようにしていきたいと思っています」

 最後に今の気持ちをひと言で表してもらった。仲澤が選んだ言葉は、入団前とまったく同じだった。
「挑戦者」
 仲澤の2度目の挑戦はこの秋、スタートする。