「人間、いつ死ぬかわからない。だから後悔のないように精一杯やりたい」。2年前、突然気胸を患い、一度はプロの道を断たれた苦い経験が星野真澄の野球観、いや人生観を変えた。独立リーグを経て、ようやく夢をつかんだ星野。この1年に勝負をかける意気込みを訊いた。
―― ドラフトで指名されたときの気持ちは?
星野: この時のために1年間必死でやってきました。年齢を考えると、プロを目指すことができるのもそう長くはないと考えていたので、「あぁ、またもう1年野球ができるんだな」と思いました。

―― 指名の挨拶で担当スカウトからの言葉は?
星野: 「ドラフト組とも育成組とも一緒になっていては困る」と言われました。「すぐに一軍に上がって活躍してもらえると思っているから」と。年齢が年齢ですからね。自分自身も高卒ルーキーと一緒にやっていてはダメだと思っています。甘い世界ではありませんし、1年目から勝負だと思っています。

―― ジャイアンツへのイメージは?
星野: 僕は埼玉出身なのでテレビをつけたらジャイアンツの試合を目にしていましたし、プロ野球って言ったらジャイアンツというイメージが強かったです。子供の頃は松井秀喜さんが大好きで、ドームに観に行ったりしていました。ピッチャーでは桑田真澄さんや河原純一さん(現中日)が好きでした。特に河原さんは僕と体型が似ているので、「あんなに細い体で、あれだけの球を投げられるなんてすごいな」と思いながら見ていました。

―― 桑田氏のファンだった父親が「真澄」という名前をつけた。
星野: はい、そうなんです。桑田さんを見ていると、「やっぱりプロというのは、コントロール、キレ、変化球のバランス、その全てがなければダメなんだな」と思いますね。フィールディングの上手さも一級品ですよね。それが全てできて、先発完投型のエースになれるんだと。

 2008年、左右のエースとしてバイタルネットを牽引してきた星野と谷元圭介(現北海道日本ハム)は、ドラフト指名候補に挙げられていた。ところがその年の7月、星野は気胸を患い、手術をした。秋の日本選手権予選にはなんとか間に合わせたものの、ボールの勢いが戻ることはなかった。そして運命の日、両エースは明暗を分けた。谷元は日本ハムへ。しかし、最後まで星野の名前があがることはなかった。

―― 「気胸」とわかったのはいつ?
星野: 社会人2年目、都市対抗予選決勝の朝でした。胸が痛くて4時半くらいに目が覚めたんです。前兆なんて何もなくて、本当に突然のことでした。痛くて呼吸ができないし、おかしいなと。以前、本で気胸のことを読んだことがあったので、「これは絶対に肺に穴が開いたな」とわかりました。

―― すぐに病院へ?
星野: いえ、決勝戦は僕が先発だったんです。谷元は前日完投していたので、とても投げられる状態ではなかった。もう試合前から痛くてアップもなし。ブルペンで1球投げただけでもうダメだったんです。それでも5回くらいまではなんとかなるかなと思ってマウンドに上がったんですけど……。2回を投げて「これ以上は無理です」と自分から降りました。最初はベンチで応援していたんですけど、座っていることさえもできなくなって、ベンチ裏で横になっていたんです。そしたら、いつの間にか気を失っていました。

―― 病院での診察は?
星野: 結局、決勝戦は負けてしまいました。そのまますぐに病院に行ったのですが、「肺に穴が開いてるね」と。そのまま入院して後日、手術を受けました。もうプロは無理だなと思いました。というのも、2年でプロに行けなかったら会社を辞めると決めていたんです。勝負をかけていた夏に全身麻酔の手術をしたわけですから、もう体力は戻らないだろうと。退院した頃にはドラフトまで後3カ月。復帰できれば、また目に留めてくれるかもしれないという淡い期待も持っていたのですが……。なんとか間に合わせましたけど、球のキレは全然なかったですね。とにかくストライクを入れるので精一杯の状態でした。

―― それでもプロを諦めることはできなかった?
星野: 「仕方ないよな」という気持ちでいたんですけど、やっぱり実際にドラフトで指名されない現実を目の前にすると、諦めきれない自分がいましたね。というのも、夏までは本当に調子が良くて、100%指名されると思っていたんです。だから「あの日、病気にさえならなければ……」と。

 難しいからこそのやりがい

 プロへの道を諦めきれず、星野は2007年に設立されたばかりの独立リーグの一つ、BCリーグの世界に飛び込んだ。そしてわずか1年でNPBへの切符をつかみとる。独立リーグでどんなことを学び、何を得たのか。

―― 独立リーグに入った理由は?
星野: ドラフトの日の夜、寝ることができなくて、翌日寝不足の顔で仕事をしていたんです。そんな僕を見かねた先輩が「お前、そんなに野球がやりたいんだったら、違う環境でやったらどうだ?」と言ってくれたんです。2年でバイタルネットを辞める覚悟でいましたから、その時には既に野球部引退も退職することも決定していました。それでも最後が最後だったので諦めきれず、監督に「まだ野球をやりたいので、他のトライアウトを受けたい」と相談したところ、信濃グランセローズ(BCリーグ)の球団トライアウトを紹介してもらったんです。

―― 信濃の投手コーチは、元プロの島田直也氏。島田コーチからはどんな指導をされたのか?
星野: プロに行くための話をたくさんしていただきました。なかでもプロで活躍するためには、いかに球のキレが重要かということですね。僕はもともとスピードだけで勝負するようなタイプではないので、キレがすごく大事なんです。調子が悪い時にもどうすればコンスタントに高いレベルでのキレを出せるようになるか、そういうことを1年間教わりました。

―― そのためにどんな工夫を?
星野: 私生活から変えていきました。例えば、以前は走るときに上下のブレがあったのですが、まずはそれをなくすようにしました。それから左右のブレに対しては、体の背骨のなるべく近い位置で全部の動きを処理できるように心がけました。というのも、速さだけを追求するのであれば、反動をつければいいんです。でもそうではなくて、キレを出すには余計な動きをなくして、自分の体の内側からうまくボールに力を伝えさせるように投げなければいけないんです。そういう球の方が速く見えるので、多少球速が遅くてもそっちの方がバッターが打ち損じたり、見逃し三振が取れる。それに、結果的にスピード自体も速くなりました。

―― そういう努力が今回実ってプロ入りを果たせたと。
星野: はい、そうだと思っています。それと、やはり谷元が1年目から開幕1軍入りをして活躍していたので、それ自体も自分への自信になりました。あいつがあそこまでいけたんだったら、同じレベルで一緒にやってきた自分もいけるのかなと。

 1年目から勝負をかけるという星野。2年連続で育成出身の選手が新人王に輝いているチーム故に、育成1位の星野への期待の声も大きい。果たしてどんな選手を目指すのか。

―― 最大の武器は?
星野: 右打者へのインコースの真っすぐですね。僕は結構ヒジが下がった投げ方をしているので、狙ったコースにいけば、角度的にもそうそう前に飛ぶような球ではないと思っています。大学時代に覚えた外に落とすチェンジアップがあるのも大きいですね。シュートっぽく落ちるので、バッターは追い込まれたらそれが頭にあると、インコースへの真っすぐに手が出なかったりするんです。

―― 今後、プロで活躍するための課題は?
星野: 左打者へのインコースをいかに攻めることができるかです。これまではどうしても抜けるのが怖くて、なかなか自分からは投げていなかったんです。でも、島田コーチからも左打者へのワンポイント起用の可能性も高いから、そこが生命線だと言われてきました。

―― バイタル、信濃時代には先発だけでなく、中継ぎや抑えもこなしてきた。それぞれやりがいはどこにあるのか?
星野: 先発の場合はいかに完封できるかを重要視しています。相手に1点も与えないというのはチームにとってすごくプラスになることだと思うからです。中継ぎは、相手を勢いづかせないようにしなければいけないですし、抑えは息の根を止めなければいけない。それぞれ役割は違うんですけど、一番難しいのは中継ぎだと思います。イニングの途中からいきなり出ることもありますし、サインプレーもバンバン出ます。その中で絶対に抑えなければいけないという場面での登板ですからね。そういう意味では投手としての総合的な力が必要なポジションだと思いますね。

―― なかでもやりがいを感じるのは?
星野: 一番難しいだけあって中継ぎですね。チームの流れが一番変わる場面で出ますから、そこを乗りきれると大きい。山口鉄也さんや越智大祐さんのように、登場したらファンに盛り上がってもらえるような選手になりたいですね。

―― 1年目は気苦労も多いのでは?
星野: でも、仕事と野球の両方をしていたバイタル時代は本当にきつかったですから。帰宅してご飯を食べて洗濯をしたりすると、もう夜中の1時とかになっていましたからね。それで朝は5時に起きてウエイトをしていたんです。こんなんで本当に筋肉つくのかなぁと思いながらやっていましたけど(笑)。そういった苦労もこれから生きてくると思います。

―― 座右の銘は?
星野: これまでグローブの刺繍に入れていたんですけど、「獅子欺かざる」ですね。虎は兎を殺すにも全力だと。要は練習だろうと何だろうと、適当な時間を過ごさないようにするという意味です。これからも常に自分に言い聞かせたい言葉ですね。相手が誰であろうと全力で投げたいと思っていますし、練習でも絶対に手を抜きたくないです。

―― ファンへのアピールポイントは?
星野: どんな場面でも投げられる適応力はあると思うので、まずはピンチで使ってもらえるくらいの信頼を得たいですね。そしてファンの人に「そろそろアイツくるんじゃないかな」と思われるような存在になりたいです。まずはそのステージに上がれるように頑張りたいと思います。

 支配下登録を意味する2ケタに最も近い背番号「100」は球団からの期待の表れでもある。「早く一軍に上がってこいよ」。そんなメッセージが聞こえてくる。そして再び東京ドームのマウンドに「真澄」が上がる日をファンは心待ちにしている。

星野真澄(ほしの・ますみ)プロフィール>
1984年4月4日、埼玉県出身。埼玉栄高、愛知工業大を経て、2007年バイタルネットへ入社。同年、谷元圭介(北海道日本ハム)と左右のエースとしてチームを牽引し、日本選手権出場に大きく貢献した。昨年、信濃グランセローズに入団。チームトップの8勝を挙げ、エースとして活躍した。181センチ、72キロ。左投左打。

(聞き手・斎藤寿子)


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