リーグ連覇を狙う北海道日本ハムファイターズには、今や欠かせない選手だ。小谷野栄一、29歳。昨季はサードのレギュラーとして自己最多の138試合に出場し、打率.296、11本塁打、82打点といずれも自己最高の成績をマークした。三塁手のゴールデングラブ賞も獲得し、打ってよし守ってよしの内野手として年々、進化を遂げている。今季から背番号も「5」となり、さらなる活躍が期待される小谷野に、当HP編集長・二宮清純がインタビュー。昨季の好調の理由とこれまでの野球人生、今季の目標を訊いた。
 鉄壁の内野陣はアイコンタクトで連携

二宮: 昨季は大活躍でしたね。日本一は逃したものの、日本シリーズでは打率.391で、チームトップタイの5打点。非常に勝負強いイメージを持ちました。
小谷野: 前のバッターの方がチャンスをつくっていただいたおかげですね。普通、チャンスで打順が回ってくると、どうしても「打たなきゃいけない」という気持ちになるのですが、逆に僕は「相手がピンチなんだから、自分は優位なんだ」と思って打席に立つことを意識しています。

二宮: 日本ハムの打線はつながりがいいですから、「自分が、自分が」と必要以上に力まなくてもよいところもプラスに働いたのかもしれません。
小谷野: もともとつなぎの意識はありましたが、昨季はシーズンの途中から、1番・田中賢介、2番・森本(稀哲)、3番・稲葉(篤紀)さん、4番・高橋(信二)さん、5番・スレッジと右左のジグザグ打線が定着したんです。相手にしてみれば右、左が偏らないのでピッチャーを代えにくい。こういった部分もうまくいった理由だと考えています。

二宮: たとえばクライマックスシリーズの東北楽天戦では第1戦の最終回に5点をとって、逆転サヨナラ勝ち。第1ステージを連勝で札幌に乗り込んだ楽天の勢いを完全に止めました。打撃部門のタイトルホルダー不在でのリーグVは、チーム一丸となった攻撃が徹底されていた証拠です。
小谷野: ヒルマン前監督時代から、打率は良くなくても、次の打者に何とかつなぐことがチームの伝統になっています。スタメンの選手も途中から出る選手も自分の役割を分かっているんです。だから楽天戦のように終盤に逆転できる試合も増える。全員が全力プレーで最後まで諦めない姿勢を継続できたことが、昨年の結果につながったと思っています。

二宮: 日本ハムは守備もいい。昨季のゴールデングラブ賞では9ポジション中7つを日本ハム勢が独占しました。
小谷野: 守備からリズムをつくっていくことができましたね。内野も場面に応じて、お互いにアイコンタクトで連携が取れています。たとえばベンチからピンチでバックホームの指示が出ても、「あ、これならゲッツー取れる」という時は目で合図して、セカンド、ファーストと転送してアウトにしていました。

二宮: 小谷野さん自身も、日本シリーズで巨人・松本哲也の3塁線の当たりを横っ飛びで捕ってアウトにする好プレーがありました。左打者の切れていく難しい打球をよく抑えましたね。
小谷野: 僕の感覚では、ああいった打球は捕るというより当てに行くイメージです。とにかく止めて下に落とせば、長打にはならない。あの時はピッチャーが武田勝さんでコントロールがいい。このボールなら、こっちに打球が来るんじゃないかと想定しやすかった点も大きいです。

二宮: 守備で最も大事なポイントは?
小谷野: やはり打球に対する1歩目の反応ですね、僕は、基本的に守る時には右足を前にして重心をかけています。やはりバッテリーとしては3塁線をゴロで抜かれるのが、一番苦しい。頭の上を超えた打球は仕方ないですけど、3塁線だけは絶対抜かれないように意識しています。

 不安な時ほど「楽しめ」

二宮: 創価大を経て、プロ入りはドラフト5位。同期では3位の武田久投手、6位の紺田敏正選手、8位の鶴岡慎也選手と下位指名から1軍で活躍している選手が多い。日本ハムはファームの育成に定評がありますが、具体的にはどんな指導を?
小谷野: 入団した時から、常にファームの試合でもチームの勝利に貢献することを求められています。そのために全力でプレーしようと。全力疾走は当たり前ですし、全員が意識すればできることは徹底して言われます。1年目はファームでどんなに活躍しても簡単には1軍に上げてくない。しっかりとした育成方針の中で鍛えられます。

二宮: ファームとはすなわち畑の意味。まさにここからいい“作物”がどんどん育って、チームを支えているわけですね。
小谷野: 田中賢介もそうですし、当時、2軍の鎌ケ谷でやっていたメンバーが、今の1軍選手になっています。2軍から一緒なので、コミュニケーションがとりやすい面はありますね。

二宮: プロに入ると、たいていの選手がアマチュアとの違いに驚きますが、小谷野さんの場合は?
小谷野: 1年目は2軍キャンプからスタートしたんですが、藤島(誠剛)さん、島田一輝さん、西浦(克拓)さんといった右打者の先輩のスイングに圧倒されましたね。ピッチャーのボールも速いし、こんなスイングして、こんなに飛ばす選手でも2軍かと思ったら、正直「無理だ」と……(苦笑)。

二宮: そんな状況で、どうやって自分の居場所を見つけたのでしょう?
小谷野: 大学時代の監督から「オマエは別にきれいなプレーをするためにプロに入ったわけじゃない」と言われたんです。「今までがむしゃらに全力でやってプロになったんだから、どんな不恰好でも泥臭くやればいい。そのためにとっていただいたと思え」と。その言葉を聞いて、ちょっとすっきりしましたね。

二宮: 4年前にはパニック症候群を発症していました。今は大丈夫ですか? 
小谷野: 今でも時々、症状は出ます。ただ、不安に襲われた時は、「楽しめ」という合図だと考えるようにしています。不安でドキドキしているのを、楽しくてワクワクしているんだと意識を転換するんです。他にも息苦しさを感じたら、慌てるのではなく「ちょっと待てよ」と落ち着いてみる。唾液を感じると呼吸がしやすくなるので、試合中には飴をなめたりしています。自分にとっては飴が安定剤代わりになっていますね。後は「野球をやれるだけでいいじゃないか」と気持ちをラクにする。それでも症状が出ることはありますが、自分の中でもだいぶ対処法がつかめてきたと感じています。

二宮: 1軍で出場機会が増えたのは、パニック障害を乗り越えた07年。113試合に出場しました。
小谷野: 当時の僕は外野手登録だったのですが、たまたまキャンプでサードを守れる人間がいなくなって、「行けるか」と言われたのがきっかけでした。大学時代にサードの経験はあるので、「何とかなるだろう」と。最初は打球が速くて怖かったですけど、首脳陣が求めているのは、まず守備だと思って、そこだけは集中して練習しましたね。外野しかやっていなかったら、今頃はどうなっていたか分からないですね。

 松坂大輔は憧れであり、お手本

二宮: リトルリーグでは松坂大輔投手とは一緒にプレーしていたそうですね。当時の印象は?
小谷野: 僕もピッチャーをやっていたのですが、投げ合っても絶対に勝てない。体はさほど大きくはないのに、投げるボールもすごいし、打つのもすごい。向こうはオール東京とか選抜チームに選ばれたり、既に別格でしたね。

二宮: 小谷野さんもいわゆる“松坂世代”です。パ・リーグにも和田毅投手、杉内俊哉投手と松坂世代の選手はたくさんいます。ライバル意識はありますか?
小谷野: 僕自身はそういう感覚はないですね。彼らは高校、大学とずっとテレビや雑誌で見てきた存在で、今プロで一緒に対決しているのが不思議なくらいです。むしろ、そういう人たちと1日でも長く野球をやれたらいいなと思っています。

二宮: ウサギとカメで言えば、小谷野さんは典型的な“カメ”タイプですね。
小谷野: そうですね。中でも松坂大輔という憧れでもあり、尊敬できるお手本がいたことは大きかったと思っています。彼を追いかけて、何とか一緒に野球ができるようになりたい、1軍で対戦できるようになりたい、とコツコツやってきましたから、彼のおかげで今の自分があると言ってもいいかもしれません。

二宮: ということは松坂投手を追って、メジャー挑戦も視野にあると?
小谷野: 野球人としては「機会があればやりたい」という思いは心に持っておかないといけないでしょう。

二宮: 今は結果が出てきて、野球が楽しいでしょう?
小谷野: 楽しいですね。やればやるほど、いろんなことを他の方から教えていただいて勉強になっています。

二宮: パ・リーグは本拠地の札幌ドームも含め、広い球場が多いですが、3割30本塁打100打点は狙えるでしょう。
小谷野: まだ20本塁打も打ったことのない人間なので、大きなことは言えませんが、それくらい打てればチームに貢献できる。今シーズンはそういった大きな数字も掲げて、全力で臨みたいです。


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