15日、都内ホテルで第1回2018/2022年FIFAワールドカップ日本招致委員会(委員長・犬飼基昭日本サッカー協会会長)・招致連絡協議会が開催された。2002年日韓ワールドカップに続く2回目の自国開催を目論んでの招致活動となる。犬飼委員長は会議の冒頭で「まず昨日の韓国戦での不甲斐ない戦いをお詫びしたい。岡田武史監督には“国民の期待に応えられるような試合をしなければならない”と伝えた。2度とこのようなことがないようにやらせますので、これからもよろしくお願いします」と出席者に陳謝した。
(写真:「2002年は半分しかやっていない。今度は全部日本で開催したい」と招致の意気込みを語った犬飼委員長(左))
 まだ記憶に新しい2002年ワールドカップを韓国と共同開催した日本だが、2018年と2022年に行なわれる同大会で再び立候補する方針でサッカー協会は各方面に働きかけている。今回の会議に出席したメンバーは政界、経済界、行政などの有力者で固められた37名だ。特別顧問を務める川端達夫文部科学大臣は「現在行なわれているバンクーバー冬季五輪も国民に勇気と希望を与えている。その冬季五輪の全ての競技人口をあわせてもサッカーの競技人口には及ばない。1つの競技で行なわれるサッカーワールドカップのすごさを改めて感じます」とワールドカップの招致の意義について語った。

 サッカー協会は05年に発表した“JFA2005年宣言”の中で、「2050年までにワールドカップを日本で開催し、日本代表チームはその大会で優勝チームとなる」と謳っている。2050年までに日本がワールドカップに立候補できる機会はそう多くない。ワールドカップ開催後、2大会は同一地域でワールドカップを開催しないという取り決めがFIFA(国際サッカー連盟)の中にあるため、2050年までにアジアでワールドカップが行なわれるのは最大でも3回となる。その点を考慮すると、意外なほどワールドカップを開催するチャンスは少ない。そんな中で日本は2018年、22年の両大会で手を挙げている。

 日本にとって02年大会を成功させているのは大きな経験であると同時に、共同開催という苦い経験も味わっている。「今度は全部、日本でやりたい」と会議の冒頭で語った犬飼会長は、招致に向けた準備を10年から着々と進めていく方針だ。

 しかし、「次は単独開催で」という考え方はあくまで日本国内から発信しているもの。2018年、22年は立候補していないが、アジアには人口の多い中国やインドという大国がある。彼らが本腰を入れてワールドカップ招致を始めれば、共催ながら1度でも開催経験のある日本にとって大きな脅威となる。また、サッカーではアジアの一員であるオーストラリアが立候補すれば、地理的にはオセアニア初のワールドカップとして大きなアピールポイントを持っている。オーストラリアは2018年、22年にも手を挙げているライバルだ。いずれにせよ、日本にとってワールドカップ招致に向け厳しい道が待っていることは間違いない。大義名分がなく2016年東京五輪招致に失敗したのはつい昨年の出来事だ。その反省を踏まえ、世界のニーズにあった招致活動が展開できるかが活動成功の鍵を握っている。

 7月にはFIFAから調査団が来日する予定だ。このタイミングで2018年、22年招致に向け有効なカードを提示することができるか。そこが大きなポイントとなりそうだ。また、2018年、22年の開催地決定は今年の12月。投票権を持つ世界各国のFIFA理事24名が顔を合わせる機会は今後3回行われる理事会と南アフリカワールドカップ本大会のみとなる。それだけに、南アフリカでの日本代表の活躍度も招致活動に向け、大きな意味を持ってくる。

 会議終了後、犬飼委員長は日本代表監督についても言及した。「3年間積み上げてきたものを、(本大会)4カ月前に崩すつもりはない。岡田監督が言っている日本人にあったサッカーというのは(イビチャ・)オシム前監督が提唱してきたこと。それを引き継いでいるという点では、これから先の日本サッカーにとってプラスになるはず。これまでは02年、06年とその時々の監督の考えでチームを作ってきたわけだから、その頃に比べれば良くなっている」と口にした。

 15日にはJFAハウスに岡田監督と原博実技術委員長を呼び、3者会談を行なっている。解任論が噴出する中、サッカー協会は岡田監督続投の意思を表明した形だ。このような結論を出した以上、南アフリカ本大会の結果についてサッカー協会幹部も責任を負うべきだろう。南アフリカW杯に2018年、22年ワールドカップ招致とサッカー協会にとって、2010年は大きな勝負の年となる。監督続投の結論がどのような結果をもたらすのか。この決断が日本サッカーにとって非常に大きな意味を持つことは間違いない。