開幕からロッテ打線の勢いが止まらない。22日の東京ヤクルト戦では今季12球団最多の20得点。26日の広島戦でも井口資仁の2打席連発を含む4本塁打で快勝した。昨季まで2年連続Bクラスに沈んでいたチームは今季、未だに3連敗がない。5年ぶりのV奪回も充分、射程圏内だ。この強力マリンガン打線を支えるのが、今年から打撃兼野手チーフコーチに就任した金森栄治である。西武時代はアレックス・カブレラ(現オリックス)、和田一浩(現中日)の打撃を開花させ、ダイエーでは城島健司(現阪神)たちから慕われた。打撃の職人は、ロッテをいかに変革したのか。二宮清純が取材した。
(写真:「最初は辛抱しなきゃいけないと思っていた」。金森コーチ自身も好調な打線に驚いている)
 春のキャンプが始まった頃は内野手の頭も越せなかった打球が今では左中間、右中間に矢のように伸びていく。
「プロの打球になりましたね」
 そう水を向けると、千葉ロッテマリーンズの金森栄治一軍打撃兼野手チーフコーチ(53歳)は相好を崩した。
「わかりますか。うれしいこと言ってくれますね」

 5月のゴールデンウィーク。千葉マリンスタジアム。視線の先にはドラフト1位ルーキーの荻野貴司がいた。
 社会人(トヨタ自動車)時代から、その韋駄天ぶりは評判だった。しかしパワーは見劣りがした。春のキャンプの時点では、ことバッティングに関しては同じルーキーでも清田育宏(NTT東日本)のほうが評価が高かった。

「荻野は今のままじゃ打てそうもないな」
 早速、金森は打法改造を命じた。腕の力に頼るのではなく腰で打つ――。あえて名づけるなら「体幹打法」だ。
「最初は本人も戸惑っていてボールも前に飛ばなかった。でも、最初は誰でもそうなんです。僕は難しいことは言いません。腰で打て。体幹で打て。これだけですよ」

 荻野にも話を聞いた。
「金森さんのおかげです。金森さんからは“ボールを引きつけ、下半身の力を使って打て”と口を酸っぱくして言われました。詰まってもいいから、しっかり振れと。僕は社会人時代、腕でボールを迎えにいくことが多かった。要するに手打ちですね。このクセが出ると、すかさず注意されます」
 5月12日現在、打率3割2分5厘、1本塁打、17打点、21盗塁(リーグ1位)。パ・リーグの新人王は、もう決まったも同然だろう。

 昨季、62勝77敗5分で5位に終わったロッテが首位争いを演じている。浮上の原動力は脅威の「マリンガン打線」。チーム打率2割9分は12球団最高。打撃ベスト10に5人の選手が名を連ねる(5月12日現在)。
 3位・西岡剛 3割2分9厘。
 5位・荻野貴司 3割2分5厘。
 6位・井口資仁 3割2分4厘。
 9位・大松尚逸 3割7厘。
 10位・金泰均 3割5厘。
 昨季のチーム打率がリーグ最低の2割5分6厘だったことを考えれば、現在の好調ぶりは金森の指導力に依るところ大と言えそうだ。

 金森より3つ年下の指揮官・西村徳文はこう褒める。
「バッティングに関しては、これはもう金森さんのおかげですよ。キャンプ中からの熱心な指導がここにきて実を結んでいるんだと思います。お願いしたのは次の2点。昨季は三振が多かった(リーグワースト2位の1093個)ので、減らしてほしいということ。逆方向への打球を増やす指導をしてほしいということ。
 それが現れたのが4月4日のオリックス戦です。シングルヒットだけで19本。全員で後ろにつなごうという意識が、こういう結果になったのでしょう」

 選手の反応はどうか。
「金森さんの教え方は理にかなっている」
 こう語るのはリードオフマンの西岡だ。
「金森さんの指導で初心に戻ることができました。早く打とうとすると、どうしてもポイントが前になってしまう。体が前に移動すると、ボールはより速く見えるんです。
 金森さんは“もっと(ボールを)呼びこんで打て”、“一番ボールが見やすいポイントで打て”と。黙っていてもボールはこっちに向かってくるんですから」

 今季、大きく成長を遂げたバッターのひとりが左の大松だ。5月4日の北海道日本ハム戦では公式戦で自身2度目の2打席連続ホームランをレフト、センターに叩きこんだ。相手は土屋健二。苦手のサウスポーだ。
 試合後、大松は自信に満ちた表情で、こう語った。
「1本目のレフトへの当たりは、まさか入るとは思わなかった。芯には当たっていたが、こすっていましたから。今までとは全く違った手応えがありました。
 2本目は左投手のスライダーをあそこ(バックスクリーン)に打ちこむことができた。引っ張らずにセンター方向に強い打球を打つことを去年の秋から心がけてきたんです。
 金森コーチは1打席ごとに指導してくれる。センター方向に強い打球を打つことを念押しして言ってくれる。このホームランも初めての感覚です」

 それを受けて、金森は語った。
「大松を初めて見たのは秋のキャンプ。素質的にはすごくいいモノを持っていた。ただ欠点もあった。ボール球を振りすぎるのと、長打を欲しがるあまり、気持ちが(引っ張りの)ライト方向に行ってしまっていた。こうなるとポイントが前になり、体から手が離れてしまう。これでは確率は上がらない。
 この欠点を指摘した上で、“これからはきっちりボールを見極めようよ”と。“それで見送り三振したっていいじゃないか。きちんとスイングしたのであれば凡打になってもいいじゃないか”。本人にはそう言いました。
 仮に結果は三振でも、いい三振もあるんです。そんな時は“今のは良かった。気にするな”と声をかけてやります。その一方で結果はヒットになっても、きちんとスイングができていなければ、“今のはいただけないな”とはっきり言います。大切なのは、どんな時にも、しっかりとした自分のスイングができているかどうかということです」
(写真:ある選手が「金森さんが打てる雰囲気をつくってくれる」と語るように、チームの良きムードメーカーでもある)

 金森は西武、阪神、ヤクルトで通算15年間プレーした。どちらかというと記録よりも記憶に残るプレーヤーだった。
 忘れられないのは1983年の日本シリーズだ。巨人が3勝2敗と西武に王手をかけて迎えた第6戦。延長10回裏、2死1、2塁の場面で、金森は代打に起用された。得点は3対3。タイムリーが出ればサヨナラの場面である。

 マウンド上には巨人のエース江川卓。この年、16勝(9敗)をあげていた。学生時代、金森は江川と3度、対戦したことがある。法大4年の大エース江川に対し、早大3年の金森は控えの身分。格も実力も違っていた。
「バッターボックスでステップしようと思って足を引いた瞬間にバーンとボールが来ました。バットを振る間もなかった。
 でも速いのは初球だけ。“コイツには打たれねぇ”と思ったんじゃないですか。あとはひょいひょいという感じで軽くひねられてしまいました」

 6年ぶりの対決で江川は1球、2球と続けてカーブを投げた。
「3球目もカーブだ」
 そう読んだ金森は落ち際を狙った。体が勝手に反応した。
 打球は快音を発してレフトへ。バックホームに備えて前進守備をとっていたヘクター・クルーズが背走している姿が目に入った。

「バットの芯に当たった感触はあったんですが、その瞬間はクルーズに捕られるだろうと思った。セカンドベース付近まで行くと、巨人の外野手がベンチに向かって帰っている。“あー、チェンジになったんだ”と。意気消沈してウチのベンチを見ると佐藤孝夫コーチが飛びあがって喜んでいる。その時、初めて打球が抜けたことがわかった。
 それから後は、もう雲の上を歩いているような気分。フワフワしたまま、自分が何をやっているのかさえわからなかった……」
 そして、続けた。
「あれがなかったら、おそらく(プロ生活は)あと2、3年で終わっていたでしょうね」

 人生には大切な出会いがある。そして、それは多分に必然的なものである。金森にとっては田尾安志との出会いが、それにあたる。
 金森がプリンスホテルから西武に入団して4年目の1月、中日からトレードで田尾がやってきた。田尾は82年から3年連続でセ・リーグの最多安打を記録していた。
 春のキャンプで同室になった“安打製造機”に金森は単刀直入に切り出した。
「バッティングを教えてください」
「じゃあ、ちょっと振ってみろ」
 金森のスイングを見て、田尾は言った。
「腰でバットを振れ!」
 今の“金森理論”の原型である。

「彼は体が小さいのにここまで生き抜いてきた。“何としても、この世界で生き残ってやろう”という必死さを感じましたね」
 そう前置きして、田尾は説明した。
「同じ左ということもあって、僕に訊いてきたんでしょう。バッティングは(1)ジャストミート、(2)泳がされる、(3)詰まる――この3つしかない。この中で一番悪いのは泳がされることです。要はフォロースルーまで一発で振り切れるどうか。腰が伸びきってしまっていてはボディが使えない。こうなると飛距離がつくれないんです。
 人間、重いものを持つ時ってどうします? 体に近いところで持つでしょう。しかもヒザと脇をしっかり締めている。バッティングも同じです。ボールをできる限り、自分のポイントまで呼び込み、軸足でスイングする。
 泳がされるバッターは例外なく軸足のかかとが上がっています。後ろ足のヒザ小僧がピッチャーに向くようでは、いいバッティングはできませんね」

(後編につづく)

<この原稿は2010年5月29日号『週刊現代』に掲載されたものです>