いわゆるヒール(悪役)にとって“道場破り”の際の口上ほどセンスが問われるものはない。どれだけインパクトが強いか、センセーショナルであるか。
“吸血鬼”の異名をとったフレッド・ブラッシーは叫んだ。「オレはリングに上がれば母親でも噛み殺してやる」。母親という言葉を用いたのがミソ。この一言でブラッシーは「冷酷非道な男」という役づくりに成功した。
“白覆面の魔王”ザ・デストロイヤーの演出はもっと手が込んでいた。力道山との対戦が決定し、挨拶に上がったリングで何と力道山の相手キラー・コワルスキーの横っつらを平手で張り飛ばしてみせたのだ。「オレの方が力道山と戦うにはふさわしい」。そんな無言のメッセージが込められていた。

 ところが、この男ときたら敵のリングでいきなり「こんばんは……」と言ってしまったのだ。ファンの失笑を買ったのは言うまでもない。1981年、東京・田園コロシアムでの出来事。
 経営不振に陥っていた国際プロレスでは、エースであるラッシャー木村以下、何人かの選手が当時、飛ぶ鳥を落とす勢いにあった新日本プロレスへと戦いの場を移した。果たしてラッシャーは新日本プロレスの社長兼エースであるアントニオ猪木を、どう挑発するか、どう威嚇するか。固唾を呑んで見守っていたら、「こんばんは……」である。
 猪木も内心、頭を抱えたい気持ちだったのではないか。これでは“道場破り”もヘチマもあったものではない。さしずめ、今ならKYである。
 いつだったか本人に“こんばんは事件”の真相について訊ねたことがある。「初めてのところですから、まずは挨拶をと思いまして……」。愚直な物言いに人柄がにじみ出ていた。

 後にラッシャー木村といえばマイクパフォーマンスといわれるくらい弁舌が巧みになったが、彼の真骨頂は「金網の鬼」と呼ばれたようにデスマッチにあった。
 ジャイアント馬場のような恵まれた体はない。アントニオ猪木のようなスター性もない。どうやって生き残るか、そして団体を支えるか。苦肉の策としてデスマッチに活路を求めざるを得なかったのだろう。
 ラッシャーがエースの頃の国際プロレスには場末の哀愁が漂っていた。へそ曲がりの私はそれがたまらなく好きだった。ラッシャー木村こと木村政雄、享年68。昭和の残り香が、またひとつ消えた。

<この原稿は10年5月26日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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