東京ヤクルトは来季から小川淳司監督代行が監督に昇格することが決まった。小川代行が5月末から指揮を執って以降、高田繁監督が辞任した際には19もあった借金をミルミル返済。超低空飛行だった燕をクライマックスシリーズ進出の望みがあるところまで浮上させた。監督就任は当然だろう。これだけの力を秘めていたチームは、なぜ開幕当初、歯車がかみ合わなかったのか。当HP編集長・二宮清純が連載している講談社『本』では、このほど高田氏にインタビューを試み、野球人生を振り返ってもらった。その一部を紹介しよう。
(写真:「監督を離れてからは家で育てた野菜ばかり食べているから痩せたよ」と語っていた)
二宮: 高田さんは、日本ハム、ヤクルトと指揮をとったチームはいずれも育成が必要な球団でしたね。
高田: 引き受けた時は両方とも前年最下位で弱いチームだったからね。チームを変えなきゃいけない時期だった。選手層も厚かったわけじゃないから、新しい戦力を獲得して、つくっていかなくてはいけなかったんですよ。少々、問題があって他球団が敬遠するような選手でも、力があるなら積極的に獲るくらいのことはしないといけない。ただ、ヤクルトはどうしても家庭的なところがあって、クビを切るのもトレードするのも消極的でした。それだと、なかなか強くはならないですよね。やっぱりお金でいい選手を獲ることが難しいんだから、スカウト網を充実させて、いい素材を発掘しないといけないと思いました。

二宮: ヤクルトの場合、神宮球場が本拠地ですから、実力よりも「六大学の選手優先」といったしがらみもあるのでしょうか?
高田: そこまではないでしょうけど、確かに傾向としては強いよね。だから今回のドラフト、早大の斎藤(佑樹)は間違いなく1位指名でしょう。もちろん地元の人間や、ゆかりのある選手を獲ることは決して悪いことではない。だけど、一番大事なのは実力ですよ。本当に能力のある選手であれば人気は後からついてくる。試合に出なければ、いくら人気者でも……。

二宮: 高田さんが日本ハムでGMをされていた時には、選手獲得や育成の情報が一元管理できるシステムが導入されていたそうですね。ところがヤクルトでは採用していないと聞きました。
高田: まぁ、日本ハムではソフトを入れるのに8000万円くらいかかったからね。あの時はスカウトが10人いたら、全員から今日はどの選手を見て、どんな評価をつけたのか毎日、報告が入るようになっていましたよ。ファームでも今、誰が調子が良くて1軍と入れ替えられるか随時分かるように情報が共有されていました。だから1軍のミーティングに出席したら、すぐに2軍の選手を推薦できる体制が整っていた。同じシステムを導入すればいいわけだから、日本ハムの時より安くできるはずなんだけど、なかなか動きは鈍かったね。

二宮: ドラフト上位選手で失敗することを思えば、数千万円は決して高い買い物ではないと思いますが……。
高田: そう思うよね。FAでたくさん補強できないんだから、育成で強くするためにはそういうところにお金をかけなきゃ。

二宮: 今シーズンは苦戦を強いられましたが、胃に穴が開いたりはしませんでしたか?
高田: それはなかったけどね。お酒で気を紛らわすこともなかったですよ。でも、神宮の場合は試合後、グラウンドの中を通っていかないとクラブハウスに帰れない。あれは大変でした。

二宮: 負けが込むとヤジもキツイでしょう?
高田: そりゃキツイ。ま、ファンは勝ったら喜んでくれるし、負けたら何を言われても仕方ない。それは分かっている。分かっているけどね……。

二宮: 思わず言い返したくなるヤジもあったのでは?
高田: カチンとくるのは我慢できますよ。けど、僕がつらかったのは子どもにヤジられたこと。おそらく親がやらせているんでしょうけど、「あぁ、こんなこと言われたら、もうダメだな」って気持ちになるよね。こういう商売はファンあってのものだし、特に子どもには夢を与える職業だから。自分もそのことを大事にしてきたつもりだったので、余計にこたえました。

二宮: しかもチーム状態が悪い時は監督が何をやってもうまくいかない。その点では高田さんの決断は流れを大きく変える最終手段だったとも言えます。
高田: 「え? 同じチームかよ?」と思うくらいに良くなりましたよね。あれだけホームベースが遠かったのに、夏場なんかよく点が入った。打線が頑張るとピッチャーも良くなる。援護がなくて負けが続いた石川(雅規)も勝てるようになったし、村中(恭兵)も由規も良くなって安定感が増してきた。ここまでよく借金を挽回しましたよ。大したもんです。

二宮: 小川監督は高田さんの下でヘッドコーチを務めていました。どんな指導者ですか?
高田: 地味かもしれないけど、ヤクルトでずっと2軍を指導してきたから経験豊富ですよ。おとなしいように見えても言うべきことはビシッと言えるタイプだし。カッコつけるようなこともしないから、思い切った采配ができていますね。球団としては、僕の後は荒木(大輔投手コーチ)というプランだったのかもしれないけど、これだけ頑張ったら代える理由はないよね。

二宮: 不本意な形で辞任する形になっただけに、また、どこかでGMや監督というお考えは?
高田: もう野球の仕事はいいやと思っているんですよ。自分の人生設計として65歳になったら、すべての仕事から離れて何もしないで暮らすのが理想だったんです。勝負の世界に身を置くのはおもしろいですけど、この年になると体力が持たない。おかげさまで現役引退してから評論家、監督、コーチ、GMと1年も浪人になることがなかった。僕は恵まれていますよ。いずれにしても今年いっぱいでユニホームは脱ぐつもりでした。まぁ、途中でこんなことになるとは考えていなかったけどね。

<現在発売中の講談社『本』10月号では高田氏に外野守備の奥義を伺っています。11月号以降も数回にわたってインタビューを掲載する予定です。こちらもぜひご覧ください>