02年ソルトレークシティー五輪で8位に入賞し、W杯で通算2勝を挙げているスケルトン競技の第一人者・越和宏。日本選手最年長の41歳で出場したトリノ五輪では11位に終わり、その後、「まだやり残したことがある。このまま一生後悔して終わりたくない」と現役続行を表明した。
 昨年12月の日本選手権では、長野市スパイラルでのトラックレコードを叩き出し、若手の挑戦をはね返しての2年ぶり6度目の優勝を果たすなど、いまだ進化を続ける「中年の星」が、スケルトン競技について、そしてバンクーバー五輪への思いを語った――。
 スケルトン競技は、加速をつけてソリに飛び乗り、最高時速130キロにも達するスピードの中、大小さまざまなカーブを、バランスを保ちながらいかにうまくクリアしてゆくかが勝負の分かれ目となる。越の滑走技術は「越ライン」と呼ばれ、各国の強豪選手からも一目置かれている。
「スケルトン競技は、ソリに乗るまでは約3秒間。もちろん、筋肉の柔軟性や可動域、神経系は重要ですが、体力だけではなく、技術に落とし込んで勝負ができる。それがこの年齢でもまだ戦える要因だと思います」
 そう越は話す。競輪界の「鉄人」と呼ばれた松本整氏をトレーナーに、トリノ五輪前から二人三脚で取り組んできた片手押しスタートも、結果として表れつつある。
 競技への貪欲さ、向上心は若い選手以上と言っていいだろう。
「僕らが競技を始めたころは、トレーニングや栄養について何の知識もなかった。ただ身体を動かして汗をかいて、筋肉が悲鳴をあげれば『トレーニングしたぞ』と満足していた。でも今は、科学的根拠に基づいて、トレーニングに取り組める期待感がある。
 トリノ五輪が終わってから『やり残したことがある』と感じたのは、日々のトレーニングの中で、実際にパフォーマンスも上がっているし、まだ伸びしろがあると自分でも感じるからです。まだまだ、強くなれる確信がある。だからこそ、苦しいトレーニングにも耐えられる。自信がわいてくるんです。この調子でやっていけば、絶対強くなる、絶対にいける、と」

 トリノ五輪後、競技活動を支えるスポンサー企業の数は減った。トレーニングの合間をぬってのスポンサー探しも、競技を続けるためには大事な仕事の一つである。
「自分自身の状態も含め、一年一年、どうなるかわからない」
 厳しい現実を踏まえつつも、現在42歳の越が見据えるのは、3年後のバンクーバー五輪の表彰台だ。
「これは大きなチャレンジですから。45歳でオリンピックに出ました、という話ではダメなんです。メダルを目指せないのなら、辞めた方がいい。バンクーバー五輪でメダルを獲ることを一番に考えています」
 バンクーバー五輪まであと3年――。これまでも自分で歩む道を切り開いてきた。「中年の星」の進化は止まない。


越和宏(こし・かずひろ)プロフィール
1964年1月23日、長野県生まれ。仙台大学時代からボブスレーを始め92年のアルベールビル五輪を目指すが、代表メンバーから落選。その後、スケルトンに転向。99年のワールドカップ長野大会にて、日本人として初優勝を達成。02年ソルトレーク五輪8位、日本選手最年長の41歳で出場したトリノ五輪では11位。現役続行を宣言し、バンクーバー五輪を目指す。