28日、柔道は男子60キロ級と女子48キロ級が行われ、男子60キロ級では平岡拓晃(了徳寺学園職)が決勝で一本負けを喫したものの、今大会日本勢初となる銀メダルを獲得した。一方、女子48キロ級の福見友子(了徳寺学園職)は準決勝、3位決定戦と連敗し、メダルを獲れなかった。同階級は正式種目となった1992年バルセロナ五輪以降、日本勢は谷(田村)亮子が全大会でメダル(金2、銀2、銅1)を獲得してきたが、初めて表彰台に上がれなかった。
<平岡、4年前の雪辱も悔しい銀>

 北京の借りはロンドンの金メダルでしか返せない――平岡の強い決意はわずかに届かなかった。
 4年前の北京大会では、初戦で指導をとられて屈辱の敗退。アテネまでは野村忠宏が3連覇してきた階級だけにふがいない戦いぶりに批判の声も少なくなかった。

 それから4年、この日の平岡は初戦から技がキレていた。初戦を背負い投げで一本勝ちすると、3回戦も一本背負いで技ありを奪い、快勝する。迎えた準々決勝、ここがひとつのポイントとなった。ソフィアヌ・ミル(フランス)の素早い動きに守りに入り、指導2つで有効を奪われる。このまま敗退すれば、北京の二の舞だ。

 だが、北京で地獄を見た男は同じ失敗を繰り返さなかった。残り7秒、思い切って相手に突進し、起死回生の小外刈り。これが決まって有効を奪い返し、延長戦に持ち込んだ。息を吹き返した平岡は延長戦も攻め切って旗判定で勝利。小外刈りでの有効が取り消されるアクシデントもあったが、集中は切らさなかった。

 そして準決勝は最高のかたちで突破する。対するエリオ・ベルデ(イタリア)は昨年のグランドスラムで敗れている相手。その強敵から立ち上がりに小内巻き込みから技ありを奪い、優位に立つ。さらに開始1分を過ぎたところで、再び小内巻き込みが鮮やかに決まって一本勝ち。もうひとつのトーナメントの山では世界ランキング1位のリショド・ソビロフ(ウズベキスタン)が敗れ、北京の雪辱に追い風が吹いたように思えた。

 決勝の相手はアルセン・ガルスチャン(ロシア)だ。平岡は金メダルをつかみとろうと試合開始から前へ出る。しかし、勝利の女神は微笑んでくれなかった。開始から40秒、内股を仕掛けられた平岡は踏ん張って相手に後ろに回り、すくい投げを試みる。ただ、逆に袖口を引きこまれ、畳の上に投げられた。主審の判定は技あり。ところが、副審との協議で一本に覆り、戦いは終わった。

「金メダルで応援してくれた人たちにお礼を言いたかった。情けない」
 試合後の表情は悔しさでいっぱいだった。4年前を思えば、無念さは少し晴らせた銀メダルかもしれない。だが、新たな無念さが募る銀メダルでもあった。

<福見、重圧か動き硬く>

 日本の先陣を切って金メダルを期待された福見は準決勝で散った。相手は北京五輪金メダリストのアリナ・ドゥミトル(ルーマニア)。北京では谷亮子を破った強豪だか、福見は2009年の世界柔道では一本勝ちをしている。金メダルに向け、大きなヤマ場となる一戦だった。
 
 しかし、この日の福見は初戦から動きが硬かった。初戦、準々決勝と技が決まらず、いずれも延長戦にもつれこんだ。ドゥミトル戦も充分の組み手に持ち込めず、技を仕掛けられない。試合開始から1分30秒、焦って引き手が不十分なまま、大外刈りにいったところを支え釣り込み足で返された。横倒しになり、審判の判定は技あり。一瞬のスキを突かれ、劣勢に立たされる。

 何とか挽回したい福見だが、やはり思うように組ませてもらえず、相手を崩せない。逆に経験豊富なドゥミトルに奥襟をとられて動きを封じられ、逃げ切りを許した。敗戦のショックをひきずったのか、3位決定戦でもエバ・チェルノビチュキー(ハンガリー)の積極的な攻めに押され気味の展開。お互いにポイントを奪えないまま、延長戦に突入し、開始50秒、小外刈りに天を仰いだ。

 長年、女王として君臨した谷を2度倒し、“ポスト谷”の一番手と期待されていた。今回の代表選考では世界柔道連覇を果たした浅見八瑠奈に先行を許しながら、最終選考会の全日本選抜体重別選手権を制し、逆転で五輪切符をつかんだ。大会前には、この五輪を柔道人生の集大成にするとも報じられた。「負けられない」という重圧は二重三重にも高まっていたことは想像に難くない。

 試合後のインタビューではしばらく言葉が出なかった。声を振り絞るように「これがオリンピックかな……」と話した。初の五輪で本来のキレを取り戻せないまま、その胸にメダルを飾ることは叶わなかった。