28日、重量挙げ女子48キロ級で三宅宏実(いちご)が、スナッチ87キロ、クリーン&ジャーク110キロのトータル197キロで銀メダルに輝いた。2000年に採用された女子重量挙げで日本勢のメダル獲得は初めて。三宅はスナッチ、クリーン&ジャーク、トータルのすべてで日本新記録を叩きだして快挙に花を添えた。父・義行は1968年メキシコ五輪の男子フェザー級で銅メダルを獲得しており、親子揃ってのメダリストとなった。また水落穂南(平成国際大)はスナッチ80キロ、クリーン&ジャーク96キロ、トータル176キロで6位入賞を果たした。
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 まさに“3度目の正直”だった。アテネでは9位、北京は体重コントロールを失敗して6位。メダルを狙った大会だっただけに、その後は本人曰く「気持ちを切り替えられず、記録も伸びなくて悩んだ」時期もあった。この春には右太腿を肉離れ。全日本選手権欠場を余儀なくされた。それらをすべて乗り越え、最高のパフォーマンスで念願のメダルを手にした。

「自分の目標重量をクリアしたい。そうすれば結果がついてくる」
 大会前にはそう語っていた三宅は、最初のスナッチで2回目に日本新記録となる85キロを挙げることに成功。最終3回目には87キロに挑戦する。真っすぐバーベルを引き上げると、しっかり下にもぐりこみ、両足で踏ん張って支える。そこから一気に立ち上がりながら上へと掲げ、さらに記録を更新した。

 これまで苦手だったスナッチで2位。好位置につけた三宅は続くクリーン&ジャークで、いきなり1回目の重量を日本新記録の108キロに設定する。肩までスムーズにバーベルを挙げると、足を縦に開き、勢いをつけて頭上へ。自らの体重の倍以上のバーベルがきれいに挙がり、思わずガッツポーズが飛び出した。

 これで勢いに乗った三宅は2回目はさらに記録を塗り替える110キロに成功。優勝した王明娟(中国)がさらに上回る重さを挙げたものの、他の選手が三宅の記録に届かないまま3回目を終了し、2位が確定した。メダルを手中にして臨んだ最終3回目はトータル200キロを狙うべく、113キロにチャレンジ。これは肩から上へ持ちあげられず、失敗に終わったものの、輝く銀メダリストは満足そうに客席へ手を振った。

 競技を始めたきっかけは2000年シドニー五輪の女子重量挙げを見たことだった。以降、父・義行の厳しいトレーニングと母・育代の栄養管理の下、12年かけてメダルにたどりついた。
「メダルが目の前にあるのが夢のよう。思ったより重みがある」
 表彰式後は、そう喜びを表現した。三宅は「バーベルは挙げてやろうと力んでも挙がらない。一心同体になるもの」と語る。家族の思いとともに、ロンドンでまさしくバーベルと一体になった銀メダルだ。