8日、レスリングの女子55キロ級、女子72キロ級が行われ、55キロ級の吉田沙保里(ALSOK)が決勝でトーニャ・バービーク(カナダ)を破り、アテネ大会から3連覇を達成した。これで9度の世界選手権優勝と合わせ、12度目の世界一。“霊長類最強の男”と謳われたアレクサンダー・カレリン(ロシア)に並ぶ金字塔を打ち建てた。
 一方、72キロ級の浜口京子(ジャパンビバレッジ)は初戦でグゼル・マニュロワ(カザフスタン)に敗れた。勝ったマニュロアも準々決勝で敗れたため、浜口は3位決定戦への道が閉ざされ、3大会連続のメダルを逃した。2004年から採用された女子レスリングで日本勢は全階級でメダルを獲得していたが、初めて表彰台に上がれない結果となった。
<「負けを知って強くなった」>

 今年5月のW杯で悔しい敗戦を喫し、大粒の涙を流した吉田。W杯の連勝をストップさせられた相手、ワレリア・ジョロボワ(ロシア)を準決勝で破り、リベンジを果たしての決勝となった。相手はアテネで銀、北京では銅メダルのバービーク。いずれも吉田に敗れて金メダルを逃しているだけに、吉田には並々ならぬ闘志を燃やしている因縁の相手だ。昨年9月の世界選手権決勝では吉田が勝ったものの、苦戦を強いられている。

 試合は中盤を過ぎても互いにけん制し合い、なかなか技が出ない。刻々と時間が過ぎていく中、残り30秒を切った時、吉田がタックルに入り、強引にバービークを追い出した。吉田の気迫に押しつぶされるかのようにバービークは尻もちをつき、これで吉田に3ポイントが入る。その後は、しっかりと守り切り、第1ピリオドを先取した。

 勝負の第2ピリオド、低い姿勢で守りをかためるバービークに対し、吉田はなかなかタックルに入ることができない。しかし、残り30秒になると、再びタックルへ。バービークを外に追い出し、吉田に1ポイントが入った。これに対し、カナダがチャレンジを要求する。しかし、ビデオ判定の結果は変わらず、チャンレンジ失敗で吉田に1ポイントが加算され、試合が再開された。偉業達成まで、残り約30秒。攻め続けるバービークに対し、吉田はその攻撃を必死に振り切り、凌ぐ。そして終了のブザーが鳴った瞬間、「ヨシダ、ヨシダ」のコールが大歓声に変わり、会場は歓喜の渦に包まれた。

 五輪直前の敗戦を糧にし、表彰台の一番上に立つ――4年前と同じシナリオに、「負けを知って、さらに強くなった」と吉田。これで世界選手権を含め、歴代最多タイとなる12度目の世界チャンピオンとなり、吉田が憧れ続けてきた“世界最強の男”と言われたロシアの英雄、アレクサンドル・カレリンと並んだ。今後はさらなる強さを求めて、吉田の新たな挑戦が始まる。

<浜口、集大成の五輪に落とし穴>

 レスリング人生の集大成は、わずか1試合で終わってしまった。マニュロアに第1ピリオドを奪われ、苦しんだ初戦。第2ピリオドを浜口が取り返し、第3ピリオドに突入する。互いに膠着状態で試合が動かず、勝負は抽選により、攻撃権を決める延長戦にもつれ込んだ。

 抽選の結果、攻撃権を得たのは浜口。天は浜口に味方しているはずだった。相手の片足をとった状態からの試合再開。相手をこのまま押し倒してポイントを取れば、初戦突破できる優位に立った。浜口はホイッスルとともに足を持って、一気にマニュロアを倒そうとする。

 しかし、ここに落とし穴が待ち受けていた。マニュロアは後ろに倒れ込みながら、ブリッジして起死回生の返し技。浜口の体が宙に浮き、裏返しにさせられた。浜口は相手を倒しての勝利を確信してガッツポーズを見せるも、レフェリーはマニュロアにポイントを与える。浜口陣営はビデオ判定を要求したがジャッジは覆らなかった。

 ただでさえ体格の大きな世界の強豪がひしめく階級だ。昨年の世界選手権では2回戦敗退。4月のアジア予選で出場権を確保したものの、決勝では中国の選手に敗れていた。2大会連続の銅メダリストといえども、厳しい戦いが予想された3度目の五輪だった。

 マニュロア戦でも、相手にスピードとパワーで上回られた。第1ピリオド開始30秒で相手の力強いタックルに倒され、早々にポイントを失った。浜口はタックルで反撃しようとするが、逆に上から押さえつけられてバックをとられる。試合終了間際に相手を引き落として背中につき、1点を返すも、すぐに体勢を入れ替えられて大差をつけられた。

 第2ピリオドも先手をとられる展開。ここはラスト15秒で足をとってポイントを返し、1−1の同点ながら最後にポイントを取った浜口が辛くもピリオドをモノにした。それだけに第3ピリオドは自ら攻めて試合の主導権を奪い返したいところだった。しかし、相手を警戒するあまり、なかなか仕掛けられない。マニュロアは疲れが見えていただけに、結局はここで勝ち切れなかったことが初戦敗退につながった。

 大会前、このロンドン五輪での引退を示唆する発言をしていた。19歳で初めて世界選手権を制して、ちょうど15年。五輪のメダルを手に、笑顔でマットを後にすることは叶わなかった。