11日、男子ボクシングミドル級決勝が行われ、村田諒太(東洋大職)がエスキバ・ファルカン(ブラジル)を14対13の判定で下し、金メダルを獲得した。日本勢の金メダルは1964年東京大会の桜井孝雄(バンタム級)以来、48年ぶり。史上2人目の快挙となった。また、この結果、日本のメダル獲得数が37個となり、2004年アテネ大会と並び最多タイとなった。
 およそ半世紀ぶりのチャンピオン誕生だ。しかも世界の強豪がひしめくミドル級での王者。体格の違いから、日本人では出場自体難しいと言われた階級で、初の五輪ながら世界の頂に立った。

 第1ラウンドから村田らしさが出た。ファルカンは昨年の世界選手権で対戦し、大差で勝利した相手。ボディを打ってつかまえると、そこからアッパー、フックのコンビネーションにつなげて相手を押し込んだ。ファルカンのコンパクトな連打にはガードを固めて有効打を避ける。ラウンド直後に発表された採点では5−3とリードを奪った。

 上々の滑り出しに、第2ラウンドも村田ペースで進むかと思われた。だが、足を使って距離をとり始めた相手に、リズムが狂う。村田がじわじわと距離を詰めるが、変則的に攻撃を仕掛けてくる相手に有効打を許す場面が増えた。終盤はファルカンが前に出て激しい打ち合いになるが、村田も粘り強く打ち返す。ラウンド後のポイントは合計9−8。何とかリードを保った。

 運命の最終ラウンド、1点差を逆転しようとするファルカンにワンツーで先制攻撃を仕掛けられる。村田は距離を詰めて打ち合いに持ち込もうするが、相手のクリンチに阻まれてリズムをつかめない。だが、ファルカンは執拗なホールディングで減点を受けるなど墓穴を掘った。2点を得た村田は、ボディ打ちを連発して金メダルへラストスパート。終盤、相手の強打につかまってヒヤリとする場面もあったが、終了直前に離れ際に放った右ストレートがクリーンヒット。村田は勝利を確信し、終了のゴングと同時に両手を挙げた。

 北京大会の出場権を逃し、一度はグローブを置いた。しかし、現役復帰を決意すると、大学での仕事と後輩の指導も続けながら、拳を磨いてきた。長く険しい旅路の末に行き着いたのは表彰台の一番上。そこで笑う村田は、メダルと同じくらいまぶしかった。

▼ボクシング界の歴史に名を刻んだ村田諒太選手。競技に対する思いとは……。
>>「44年ぶり五輪メダルへの挑戦」(前編)
>>「恩師に捧げるリング」(後編)(2012年1月掲載)