この6月、日本を代表するMFだった男が惜しまれつつユニホームを脱いだ。藤田俊哉、41歳。ジュビロ磐田では中心選手として中山雅史(現札幌)や名波浩らと、クラブの黄金時代を築き上げた。2001年にはJリーガーにとって最高の栄誉であるMVPを受賞している。そんな男の次なる目標を、二宮清純が訊いた。
(写真:8月からS級ライセンスを取得するための講習に参加している)
二宮: ユニホームを着ない生活はいかがですか?
藤田: 正直、少し寂しくなるかなと思ったんですが、あまりずっしりくるものはないですね。これまでの忙しい生活がちょっと治まったという感覚です。他の引退した人は「1年経ったら寂しくなる」と言うんですよ。

二宮: 少しボールを蹴ったり、トレーニングはしている?
藤田: それが、ほとんどやっていないんです。でも、サッカーがめちゃくちゃ好きな自分は変わらない。これが不思議なんですよね。家族からも「何でそんなにサッカーをしないの?」と言われるぐらい。

二宮: それは現役時代にやり残したことがないという証なんでしょうね。
藤田: 今思えば、やっぱり名古屋(グランパス、J1)から(ロアッソ)熊本(J2)に移籍した時点で、自分の心のどこかで整理がついていたのかもしれないですね。トップレベルでプレーする自分が好きだったのかなと。当時はそんなこと考えてもいなかったですけどね(笑)。

二宮: 引退前にオファーは?
藤田: 横浜FC香港やFリーグのアグレミーナ浜松などから誘われました。最後までオファーがあったのはすごくうれしかったですね。すごく悩みましたが、その先のことを考えた時、今年にS級ライセンスを取得して、来年、オランダに渡るというプランがほぼ固まっていた。この選択のほうが次への自分の挑戦にいいだろうと思って、引退を決断しました。

二宮: オランダでのプランは?
藤田: VVVフェンロに入ることが決まっています。名古屋時代に監督だったセス・フェルボーセンとフェンロの関係がすごく良好であることがきっかけで、クラブの会長と知り合いました。そんな流れもあって、名古屋から本田圭佑(現CSKAモスクワ)、吉田麻也(現サウサンプトン)がフェンロに移籍したんです。会長は「いずれは日本人がフェンロや欧州で指導者になる時がくるだろう」との考えを持っている。フェンロで経験を積んで、監督して羽ばたいてもらいたいらしいんです。

二宮: フェンロではどんなポストに?
藤田: そこはまだはっきりしていません。ただ、まずはトップチームより下のカテゴリーから始めて、みんなに自分というものを理解してもらう必要があります。そうしないと、簡単にクラブの輪の中には入れないと思うんです。オランダに渡って半年から1年は準備に費やすという余裕を持ちながらやりたいですね。
(写真:現役時代に期限付き移籍したユトレヒトでは「自分のイメージと結果がマッチしなかった」と語る)

二宮: 将来的に日本で指導者をやりたいとは?
藤田: チャンスがあればやりたい、という感じですね。まずは、欧州でどれぐらいやれるのか。最低でも3年、いや5年は向こうにいたい。クラブに必要ないと言われたらそこまでですが、簡単には帰ってきたくないですね。オランダからは現役時代にもう一度簡単に帰ってきてしまったので(笑)。だから、指導者として認められれば、その時のモヤモヤが少しは薄くなるのかなと思っています。

<現在発売中の小学館『ビッグコミックオリジナル』(2012年11月5日号)に藤田さんのインタビュー記事が掲載されています。こちらもぜひご覧ください>