団体競技としてパラリンピック史上初の金メダルを日本にもたらしたゴールボール女子。あの栄光に輝いた日から4カ月後の今年1月、早くも次なる目標に向け、新たなチームづくりをスタートさせた。「次なる目標」とは――。無論、2016年リオデジャネイロパラリンピックでの連覇だ。彼女らには輝かしい功績に酔いしれている余裕などない。パラリンピック出場権をかけた戦いが、もうすぐそこまで来ているからだ。
(写真:両ウイングが下がったかたちのピラミッド型のディフェンスにも挑戦している)
 日本がリオへの道を切り拓くためのチャンスは2度ある。来年に行なわれる世界選手権とアジア選手権だ。他競技ではパラリンピックの開催年に入ってから代表選手や出場国が決定することが多い中、ゴールボールではパラリンピックの2シーズン前に、予選が行なわれる仕組みとなっている。だからこそ、いつまでも栄光に浸っていることはできないのだ。

 ゴールボール女子ではロンドンパラリンピック後、既に4回の代表合宿を行なっている。その間、ベテラン選手は現役を続行し、リオを目指す覚悟を決める一方で、次世代を担う若手の育成に努めてきた。その中で、チームは少しずつ進化し始め、そしてひとつにまとまりつつある。そう感じさせた最大の要因は、新たなる挑戦と若手の変貌にあった。

 世界に先駆けたメイド・イン・ジャパン

 今年2月、新チームとして2回目となる代表合宿を訪れた。3日間の日程で行なわれた最終日のその日、体育館では試合形式の練習が繰り返されていた。そこにはロンドンでは見られなかった光景がいくつもあった。まずはディフェンスだ。これまで日本のディフェンスは、3人が一列に並ぶ平行なスタイルをとっていた。だが、合宿では他国が行なっているような両ウイングがセンターの少し後ろに構えるピラミッド型を敷いていたのだ。さらに構え方にも変化があった。これまでのように両手を地面につき、屈んだ状態で相手からのボールに対して構える“シッティング”ではなく、立った状態で腰を落として構える“スタンディング”に挑戦していたのだ。

(写真:オフェンス力アップを図る浦田)
 また、選手のポジションもガラリと替わっていた。ロンドンではセンターとしてディフェンスの要となっていた浦田理恵がライトとしてオフェンスに加わっているかと思えば、ウイングから勢いのあるボールを放っていた小宮正江や安達阿記子がセンターでディフェンスに注力していたのだ。

 その理由を江黒直樹ヘッドコーチ(HC)はこう語る。
「今のままでは世界を相手に戦うことはできません。来年の世界選手権やアジア選手権までに、いかに選手層を厚くしてチームを強化させていくか。そのためには1人1ポジションでは、バリエーションが広がらない。6名しかベンチに入れない中で、1人2ポジションできれば、これまでのような1対1の単純な交代ではなく、さまざまな組み合わせを考えて戦略を練ることができます」

“1人2ポジション”――ゴールボールの世界では、これまで考えられてこなかった新たなチャレンジだ。金メダルを獲得したとはいえ、体格やパワー、スピード……身体的能力では、世界と互角に渡り合うことはできないことは、ロンドンでも痛感させられたに違いない。では、なぜ日本は世界の頂点に立つことができたのか。それは、世界に上回るものがあるからだ。“器用さ”と“正確さ”である。

 ロンドンの決勝で、準決勝までの6試合で37得点という驚異的なオフェンス力をもつ中国を相手に、1−0というロースコアでの完封勝ちは、まさにその“器用さ”と“正確さ”での勝利だった。パワーとスピードは日本の比にならないが、雑さが目立つ中国に対し、日本は戦略通り、中国のセンターを左右に動かすことで“穴”を開けるために正確なボールを投じ続け、一方でディフェンスは手先、足先にまで神経をいきわたらせ、お互いに声を掛け合ってカバーをし続けた。その差が、「1−0」というスコアに凝縮されているのだ。その“正確さ”と“器用さ”を武器に、身体能力で勝る外国人選手を相手に、日本は今後、どう戦うのか。それこそが、連覇へのカギとなる。

「日本がロンドンでやったような戦略を、次は他国もしてくるはずです。体格で上回る相手が同じことをすれば、日本は苦しくなるのは目に見えている。だからこそ、日本はまた独自の戦略をつくりあげなければいけない」
 ロンドンでは女子チームの主にオフェンスを担当した市川喬一コーチ(現在は男子チームのアシスタントコーチ)がそう語るように、すぐに世界がロンドンでの日本に追いつくことは容易に想像ができる。ならば、日本はその先を行くしかない。

 ゴールボールでは、それがまだ可能だと江黒HCは考えている。
「歴史が古いメジャースポーツは、細かくルールが設定され、“こうあるべきもの”という概念が出来上がってしまっています。それを打破するのは、容易ではありません。しかし、歴史の浅いゴールボールはまだ発展途上。だからこそ、戦略的にも開拓余地はまだまだあるはずです」
 その開拓余地こそが、“器用さ”をもつ日本には、大きな武器となり得る。

 殻を破り始めた若手組

 さて、こうした“ロンドンとは違う光景”は、若手選手の中にもあった。ロンドンでは控え組だった若杉遥と中嶋茜である。昨年6月、初めて訪れた代表合宿に、彼女らの姿は確かにあった。だが、パラリンピックを3カ月後に控え、エネルギッシュに動き、声を飛ばしていた小宮、浦田、安達のレギュラー組とは対照的に、彼女らには物静かな印象しか残っていない。ところが、パラリンピックを経た2人には、明らかに変化が生じていた。

 もちろん、ボールのスピードやディフェンス力など、技術面でのレベルアップもあっただろう。だが、それだけではなかった。プレーしている時の表情、迫力、積極さが、昨年6月に見た時とはまるで違っていた。あの時には感じられなかった熱気あるいはオーラに、彼女らは包まれていた。その背景にはロンドンで彼女らが味わった悔しさと、そこから生まれた新たな思いがあった。

「変わらなければ、世界に勝つことはできない」
 ロンドン前、若杉はこの言葉を何度も指揮官から言われてきたという。ゴールボールではチームメイトとの連携が何より重要であり、視覚からの情報がない分、声を出し合ってのコミュニケーションは必須である。だが、もともと口下手な若杉にとって、それは決して容易なことではなかった。
(写真:メンタル、テクニックの両面で成長著しい若杉)

 そこで、先輩からのアドバイスをもとに、若杉はまずは食事の際に、とにかくひと言でも話すことから始めた。
「このおかず、美味しいですね」
 そんなたわいもないひと言からスタートしたのだ。しかし、そこで話すことの重要性を再認識したのだろう。意識が高まり、それがコートでのコミュニケーションにもつながっていったのだという。
「パラリンピックを目指してやってきて、そこで変わることができた自分がいました」

 そして、彼女が最も自分の成長を感じ始めたのは、パラリンピック後のことだった。
「パラリンピックの経験を通して、自分の考えをきちんと持って、それを人に伝えることの重要性を改めて感じたんです。今、ようやくそれが少しずつできるようになってきたのかなと思っています」

 現在、自らが抱える課題についての質問に対する返答にも、彼女の成長ぶりを伺い知ることができる。
「試合というものにとらわれ過ぎて、冷静さを失ってしまう時があるので、その時にどうボールに集中するか。それと、試合の組み立てについても、そろそろ自分で考えなければいけないなと思っています。コミュニケーションができるようになって、周りの状況判断ができるようになった。だからこそ、試合の組み立てを考えようという心の余裕も生まれてきているのかもしれません」

 その変化を江黒HCも見逃してはいない。
「若杉は変わりましたね。特に1月のモントリオールオープンから帰ってきてから、積極性が出てきましたよ。彼女なりに自覚し始めたんじゃないかな」
 そう口にしたかと思うと、指揮官は「遥! カバーはどうした!」という怒声をコート内に響かせた。もちろん、これまでにも同じような言葉を何度も投げてきてはいることだろう。しかし、厳しさの度合いは増しているように感じられた。少なくとも、昨年6月の合宿時とはまるで違っている。それだけ、指揮官への期待が込められているからではないか。

 思いを募らせた決勝の舞台

 変化が表れているのは、若杉ばかりではない。同じくロンドンパラリンピックを経験した中嶋もまた、気持ちを新たにしていた。昨年6月の合宿では、ほとんど聞こえなかった中嶋の声が、今年2月の合宿ではところどころで聞こえてきていた。そのことを告げると、彼女は少し恥ずかしそうにしながらも、はっきりとした口調でこう答えた。

「ロンドンの決勝で戦っている先輩たちを見ながら、思ったんです。『今度は絶対に、自分があの舞台に立とう』って。そのために必要なのは、自信をもってプレーすることなんじゃないかと」
 その意識こそが、中嶋に声を出させている要因のひとつとなっていることは想像に難くない。

 実は中嶋は、早くから代表候補に名乗りをあげており、08年北京パラリンピック前にも代表合宿はもちろん、国際大会にも出場していた。だが、最終選考で中嶋は落選したのだ。その悔しさがロンドンパラリンピックへとつながった。だが、彼女はそこで満足したわけではない。ロンドンでの出場時間は6試合で通算わずか13分。準々決勝からの決勝トーナメントでは一度もコートに立つことができなかった。

「これまでもパラリンピックの舞台に立ってプレーしたいという気持ちで頑張ってきました。でも、ロンドンでその気持ちがさらに強くなったんです。とにかく、やれるところまでやろうと思います」
 そう笑顔で語る中嶋。彼女にとって、3度目の挑戦が始まっている。

「ロンドンパラリンピックを経験した若手の若杉と中嶋が、いかにリオに向けて気持ちを強くしていけるか。これがこれからの日本にとって一番重要だと思います」
 江黒HCがこう語るように、若手の台頭なくして、チーム強化を図ることはできない。これは団体競技の鉄則である。下からの押し上げが、ベテランの奮起を生み出すのだ。新メンバーにとっても、パラリンピック経験者の若杉と中嶋は大きな存在となり得る。果たして今後、2人はどんな成長を遂げるのか、じっくりと見ていきたい。

(文・写真/斎藤寿子)