10日、世界陸上競技選手権モスクワ大会が開幕した。女子マラソンは前回大邱大会女王のエドナ・キプラガト(ケニア)が2時間25分44秒で優勝。同種目史上初の連覇を達成し、今大会最初の金メダリストとなった。日本勢は福士加代子(ワコール)が2時間27分45秒で3位に入り、日本人メダル第1号。木崎良子(ダイハツ)は4位入賞を果たした。注目の男子100メートルは、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が10秒07で予選を通過。一方の山縣亮太(慶應義塾大)は10秒21、桐生祥秀(洛南高)は10秒31で準決勝へ進めなかった。同ハンマー投げ予選は、連覇の懸かる室伏広治(ミズノ)が登場。76メートル27をマークし、全体8位で決勝へとコマを進めた。最大の3人がエントリーした男子棒高跳び予選では、山本聖途(中京大)が5メートル55を成功させ、決勝進出を決めた。その他の澤野大地(富士通)、萩田大樹(ミズノ)は予選突破ならなかった。
 日本、初日から好発進

「こんなにトラックをうれしく走れたことはない」。そう語った福士は、ルジニキスタジアムに入ると、笑顔を見せ何度もガッツポーズを作った。
 5000メートルや1万メートルと、トラック競技では4度の世界選手権を経験している福士だが、マラソン種目としては初出場。かつては“トラックの女王”と呼ばれた31歳が、ついにマラソンでメダルを手にした。

 午後2時にスタートした女子マラソン。気温は30度を超え、選手たちには過酷なコンディションとなった。序盤、レースを引っ張ったのはロンドン五輪8位入賞のバレリア・ストラネオ(イタリア)。優勝候補のアフリカ勢を従えて、先頭を走った。日本勢は野口みずき(シスメックス)が第2集団をリードした。

 7キロ過ぎに福士と野口は先頭集団に合流。一方、木崎はそこから少し離れ、前を追いかけた。10キロは34分13秒のペース。なおもストラネオがトップの座を守っていた。14キロ過ぎには、出遅れていたキプラガトがついに先頭集団に追いつく。先頭グループは8人で形成、福士はその後方にいた。

 23キロ手前で先頭集団は4人に絞られた。25キロ通過タイムは、1分26秒36。ストラネオ、キプラガト、メセレク・メルカム(エチオピア)、福士と続いた。

 しかし、29.5キロあたりで福士はストラネオらに離されはじめた。30キロ地点でトップから6秒の差。粘りの走りを見せていたが、ついに先頭争いから脱落した。過去4度のマラソンでも見られた終盤の失速。32キロ手前ではストラネオ、キプラガトのマッチレースの様相を呈した。

 優勝は難しくなった福士だったが、このままでは終わらない。表彰台へ向け、3位・メルカムを追走した。視界にメルカムをとらえると、「ちょっと前にいると、元気になる」と復活。35キロ地点で8秒差まで迫ると、35キロ過ぎに抜き去った。この時、「これが昔の私か」とトラックや駅伝で相手をごぼう抜きしていた自分と重ねたという。

「常に後ろにいるような気がして、息が聞こえてきた」。福士はメルカムを突き放してからも、後ろを振り返ることなく走り切った。スタジアムに戻る頃には、やっと自身の銅メダル獲得を確信した。トレードマークの笑顔溢れるラストのトラック1周。まるでウイニングランのようだった。

 出場72名中3分の1以上が途中棄権した過酷なレースを制したのはキプラガト。40キロ過ぎのスパートでストラネオを突き放し、2時間25分44秒で女子マラソンでは世界選手権初の連覇を成し遂げた。銀メダルには、それまでレースをリードし続けていたストラネオが輝いた。

 そしてロンドン五輪では日本人トップながら16位に終わった木崎は、福士に次ぐ4位に入った。8キロの給水でペットボトルを踏んでバランスを崩すなど、アクシデントにも見舞われた。先頭からは少し距離を置いて走っていたが、終盤のスパートに懸けていたようにも思えた。結局とらえることはできなかったものの、それでもメダルまで、あと1つの4位入賞。「正直悔しい」と納得はいっていない気持ちがある。ただ「最低限の目標は達成できた。チームJAPANとして勢いづけられた」との手応えもあったようだ。

 10年ぶりの世界選手権出場の野口は、足の違和感からか30キロ手前で足を止めた。止まっては走りを繰り返したが、33キロ付近でリタイアを決断した。

 日本勢にとって、14回目の世界選手権。これまで女子マラソンでは10個のメダルを獲得しており、“お家芸”と呼ばれていた。しかし、近年は大邱大会で6位が最高。五輪では北京、ロンドンと2大会連続で入賞者すらいなかった。日本陸上競技連盟は、今大会最大5つある枠を使わず、3つで勝負した。そうした状況下で2大会ぶりのメダル。復活に向け、足がかりとなる結果と言っていい。加えて4位入賞と、競技初日からメダル1と入賞1。日本にとっては幸先の良いスタートとなった。

 若武者2人、100分の1秒の壁を越えられず

 日本人の真夏の夜の夢は早々に砕け散った。
 初日の最終種目、男子100メートル予選。出場した桐生、山縣には日本人初の9秒台、世界選手権初の決勝進出が期待されていた。しかし、そのどちらも叶わなかった。

 予選第2組には、“最速の高校生”桐生が登場。予選は組上位3着が自動通過。それ以下は全7組の中でタイム上位3名が準決勝へ進める。

 同組には9秒78の自己ベストを持つネスタ・カーター(ジャマイカ)がいた。カーターとは6月のIAAFダイヤモンドリーグのバーミンガム大会の100メートル予選で対戦している。この時、桐生は思うような走りができず、組最下位で予選敗退。一方のカーターは3位で予選を通過すると、決勝で9秒99で優勝した。

 41日ぶりの再戦の場となったのはモスクワ。ただ桐生はスタート前からどこか硬く見えた。名前をコールされる時の表情も、いつもの上半身を左右に振るストレッチも、心なしかぎこちない。

 レースは徐々に加速して、抜け出したカーターが最後は流して、10秒11。余裕の1位通過だった。北京、ロンドン両五輪の金メダルを獲得した400メートルリレーのメンバーである実力者。そのスピードの一端を見せつけた。

 一方の桐生はスタートの反応速度は、この組で3番手。まずまずの入りでスピードを上げていく。左隣のレーンを走るチュランディ・マルティナ(オランダ)に中盤で並んだが、すぐに突き放された。それでも、このままならカットラインの3位。だが、大外からギャビン・スメリー(カナダ)が捲るように差してきた。最後はわずか100分の1秒差で4着に終わった。

 2組を終わって、自動通過の6人を除くと暫定2位。準決勝進出は風前の灯だった。次の組がレースを終えると、その可能性は消滅した。ただ桐生は「(世界大会で)走るのは自分にとってプラスになる。最後の強さに外国の選手と自分との違いを感じました」と振り返った。淡々とした言葉の中にも、“この経験は無駄にはしない”との気概が見えた気がした。

 4月、桐生が陸上界に衝撃を与えた10秒01を叩き出してから約100日が経過した。「それを超さないといけないとの思いがあった。タイムより勝負にこだわりたいという気持ちが一層強くなりました」。日本歴代2位をマークした高校生は、その時に「タイムより順位を狙っていた」と無欲を強調していた。周囲から寄せられる大きな期待もあって、芽生えた“9秒台”へのこだわりは、17歳の少年の足かせとなっていたのかもしれない。

 一方の山縣は“世界最速”のボルトと同組。予選最終レースに臨んだ。ここまででクリストフ・ルメートル(フランス)、ジャスティン・ガトリン(米国)ら有力選手も順当に予選をクリア。山縣は、この組で3位に入るか、10秒20のタイムを上回るかで予選を突破できる。

 レースはケマー・ハイマン(ケイマン諸島)がいきなりフライングで失格。前回大邱大会の決勝ではボルトが失格になっているためスタンドは一瞬どよめいた。

 仕切り直しのスタート。山縣は「自分の中で落ち着いていた」と言うが、0秒172のリアクションタイムは5番目だった。今シーズンベストを出した日本選手権では、0秒119という抜群のスタートを切っているだけに、遅れをとったと言ってもいい。後半からの加速が持ち味のボルトにその時点でリードを許せば、その後に追いつき、追い越すのは至難の業である。

 それでも中盤以降の加速から前を追いかけた。右隣のレーンにはアナソ・ジョボドワナ(南アフリカ)が並走していた。「中盤で並んで気になったのが反省点」。先月のユニバーシアード決勝で敗れた相手にまたしても差し切られた。この組、4位。あとはタイムでの準決勝進出に望みをかけることとなった。

 10秒21――。タイムで拾われる10秒20に、わずか0秒01足りなかった。桐生と同様に予選通過までは、あと一歩だった。だが、負けは負けである。1年前のロンドンでは準決勝で順位を意識して硬くなった反省がある。「1年を経て、どれだけ落ち着いてできるかがテーマだった。全然満足はいかない」。6月に日本選手権を制し、日本一のスプリンターの称号を手にした山縣だが、また世界に借りを作ってしまった。

「若い2人には、経験の場だった。また次、頑張ればいい」。そう片付けてしまうのは、代表として世界に挑んだ者たちに失礼である。ミッションをクリアする力があって、それを果たせなかった。純然たる敗戦だったのだ。だから雪辱を期して欲しい。リベンジの場は2年後の北京ではない。8日後、最終日の400メートルリレーに全てを懸ける。日本代表は1走が桐生、2走が山縣の予定だ。この悔しさを振り払うような快走で、後続へバトンを繋ぐ。それが2人にモスクワで託された使命である。

 主な結果は次の通り。
<男子100メートル・予選>
【2組】
1位 ネスタ・カーター(ジャマイカ) 10秒11
4位 桐生祥秀(洛南高) 10秒31
【7組】
1位 ウサイン・ボルト(ジャマイカ) 10秒07
4位 山縣亮太(慶応義塾大) 10秒21
※桐生、山縣は予選敗退

<男子1万メートル・決勝>
1位 モハメド・ファラー(英国) 27分21秒71
2位 イブラヒム・ジェイラン(エチオピア) 27分22秒23
3位 ポール・タヌイ(ケニア) 27分22秒61
15位 宇賀地強(コニカミノルタ) 27分50秒79
21位 大迫傑(早稲田大) 28分19秒50
佐藤悠基(日清食品グループ)は棄権

<男子棒高跳び・予選>
1位 ヤン・クドリツカ(チェコ) 5メートル65
    レナード・ラビレニ(フランス)
7位 山本聖途(中京大) 5メートル55
14位 澤野大地(富士通) 5メートル40 ※試技数による
21位 萩田大樹(ミズノ) 5メートル40
※山本は決勝進出(13人)。澤野、萩田は予選敗退

<男子ハンマー投げ・予選>
1位 クリスチャン・パルシュ(ハンガリー) 79メートル06
8位 室伏広治(ミズノ) 76メートル26
※室伏は決勝進出(12人)

<女子マラソン>
1位 エドナ・キプラガト(ケニア) 2時間25分44秒
2位 バレリア・ストラネオ(イタリア) 2時間25分58秒
3位 福士加代子(ワコール) 2時間27分58秒
4位 木崎良子(ダイハツ) 2時間31分28秒
野口みずき(シスメックス)は棄権

(杉浦泰介)