2012年に開設したスポーツポータルサイト「Sportsプレミア」では新たなスポーツ記事を連日、配信中です。このサイトではJBpress(日本ビジネスプレス)、講談社、スポーツコミュニケーションズの共同運営により、3社がそれぞれ配信している独自の記事を合わせて読むことが可能になっています。このたびゼンショー協力のオリジナル対談コーナー『虎四ミーティング〜限界への挑戦記〜』が更新されました。サッカー解説者の釜本邦茂さんに続くゲストはプロフィギュアスケーターの鈴木明子さん。二宮清純とすき家の新商品『鉄火丼』を食べながら、今年2月のソチ五輪や22年間の競技生活について色々と語ってもらっています。
 当サイトでは特別に対談の一部を紹介します。

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二宮: 今回は8月27日発売開始の新商品『鉄火丼』を食べながらのお話です。鈴木さんは昨シーズン限りで一旦、スケートシューズを脱ぎました。22年間を振り返ってみていかがですか?
鈴木: まさかこんなにやれるとは思っていなかったですね。長かった、というよりは、そのつど、一生懸命やってきたなという感じです。それが結果的に22年という月日になっただけ。もちろん続けるには、自分だけでなく、周りのサポートも必要です。そういったものがすべて合わさっての22年だったなと思います。実は、22歳でやめるつもりだったんです。以前は一般的にフィギュアスケートの選手は、大学卒業と同時にやめる人が多かった。だから私もそうなるだろうと思っていたので、まさか、そこからプラス6年も続けられるとは、全くの予想外でしたね。

二宮: 2010年バンクーバー、そして今年2月のソチと、鈴木さんは五輪という大舞台に2度立ちました。結果はいずれも8位入賞でした。
鈴木: 五輪を意識し始めた頃、私が目指すのは1996年のトリノ五輪だと思っていました。当時はまさかバンクーバー五輪まで続けているとは思ってもみませんでした。バンクーバー五輪に出場した時は、最初で最後の五輪だと。さらに4年が経過しても、スケートを辞めず、ここまで来るとは本当に誰も思っていなかったと思います。

二宮: 今、振り返ってみて、達成感はありますか?
鈴木: そうですね。悔いはないというか、やりきりました。以前はいい成績を残せなかったら、私は満足しないのかなと思っていました。でも最後のシーズンを戦ってみて、“自分はこれでいいな”と思えたんです。それは点数とか順位ではなく、選手としてやるべきことを、自分の中ではやり切ったと思えたから。これ以上は私のキャパを越えるだろうと(笑)。

二宮: 悔いを残すのではなく、やりきったと納得しての引退はアスリートとして最高の終わり方ですよね。
鈴木: そうですね。だから新たな生活がスタートした今、“選手時代に戻りたい”という思いはなく、“今を楽しく精一杯やっていこう”と。ただ、22年間、同じことをして過ごしてきたので、わからないことだらけですが(笑)。

二宮: アハハ。まさに浦島太郎状態ですか?
鈴木: 突然、外の世界に出たような感じです。こんなにたくさんの方とお会いしたり、お話したりする機会は今までなかったですからね。これまでは狭い世界にいたので、今はすごく新鮮な日々を過ごしています。こうした経験が今後、スケートに生きてくるものもあるだろうなと思うんです。スケートをやってきた今までの経験のひとつひとつも、ムダなことはなかった。だから今のいろいろな仕事も、時には失敗もあるかもしれませんが、自分の可能性を広げられるチャンスだと思っています。

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 この『虎四ミーティング』のコーナーは月2回更新です。鈴木明子さんとの対談後編は26日(金)にアップします。どうぞお楽しみに。