第314回 惜しまれる川嶋の「9回」

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「もう一度世界チャンピオンにはなれなかったけど心から感謝しています。生きてきてよかった。本当にありがとう」。涙とともに引退を宣言した川嶋勝重(元WBC世界スーパーフライ級王者)だが、本当に悔いはないのか。

 さる1月14日に行われたWBA世界スーパーフライ級タイトルマッチは戦前の予想を覆し、33歳のチャレンジャーが大善戦した。
 KO率8割を超える日本人キラーのアレクサンデル・ムニョス(ベネズエラ)に果敢に打撃戦を挑み、7回には強烈な左のボディブローでチャンピオンの足を止めた。ムニョスの右のガードがストンと落ち、ヒジの位置がベルトラインにまで下がったのは、レバーに深刻なダメージを負ったからだろう。明らかに試合の潮目がかわったように感じられた。

 8回も川嶋は執拗にムニョスのボディを狙い打った。手数では負けたが、攻撃に一貫した意図が感じられ、前半に失ったポイントを後半で完済できる目処が立ったかに見えた。

 ところが、である。勝負どころの9回、なぜか川嶋はインファイトを避け、アウトボクシングに徹した。行かなかったのか、行けなかったのか。その理由は本人にしかわからないが死闘の中で川嶋にとっては唯一“らしくない”ラウンドだった。百戦錬磨のムニョスは川嶋に攻める気がないとわかると、中盤の難所である9回を休養にあてダメージの回復につなげた。

 勝負事に“たら・れば”は禁句だが、なぜ青コーナーに風が吹いていた9回、川嶋は攻撃を放棄して不慣れなダンスを踊ったのか。拳に異変でも生じていたのか。外野の声といわれればそれまでだが、あそこは“肉を斬らせて骨を断つ”場面だった。7、8回に続いて9回もチャンピオンからうめき声を聞くことができていたら、勝負の行方はどう転がっていたかわからない。なにしろムニョス陣営は「苦しくなったらクリンチでしのげ」と弱気な指示を出していたくらいだから。

「才能もセンスもない」(大橋秀行会長)雑草が類まれなる努力と闘争心で世界王者になったことは称賛に値する。ムニョスに負けたところで何も恥じることはない。逆に言えばそれだけに9回の失速が惜しまれてならない。たかが3分、されど3分――。

<この原稿は08年1月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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