アテネ五輪が間近に迫ってきた。国民が最も注目している選手が競泳男子平泳ぎ百メートルと二百メートルの世界記録保持者・北島康介である。二冠を達成した世界水泳での雄姿は今も記憶に新しい。
 北島たちは百分の一秒という、一般の人間からすればまるで実感のない時間の単位と戦っている。非日常の時間単位といってもいいだろう。
 しかし、この百分の一秒にはおびただしいまでの科学の粒子が凝縮している。そこに運や偶然が入り込む余地は全くない。「現場百回」という言葉が刑事警察の世界にある。
 真犯人を割り出すには、つまるところ現場に繰り返し足を運ぶしかないという意味だ。アリバイを崩す証拠はそこにしかない。

 スポーツ・ライティングにも同じことが言える。「百分の一秒の真実」を突きとめるには、足繁く現場に通い、関係者を“尋問”し続けるより他に方法がない。
 著者は古ぼけたコートに身を包んだベテラン刑事よろしく、“共犯者”たちとの距離をじわじわと縮め、真実ににじり寄る。
 シンプルな構成、飾り気のない文体が百分の一秒のリアリズムを一層、際立たせる。直球勝負のタイトルにも好感が持てる。
「北島康介プロジェクト」(長田 渚左 著・文芸春秋・1400円)


 2冊目は「年金の悲劇」(岩瀬達哉 著・講談社・1500円)。年金問題は7月の参院選の最大のテーマになりそうだが、有権者はこの本を読んでから、どの候補者に投票するかを決めるべきだ。そもそも年金制度は誰のものなのか。


 3冊目は「告白録」(竹内スグル ほか著・アーティストハウス・1300円)。インタビューは対面して初めて成立するものである。相手との間をはかり、呼吸を読む。著書は公開質問状タイプ。企画は悪くないが真実が見えてこない。

<この原稿は2004年6月24日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>
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