指導法の「ロジック」明かす

 Jリーグがスタートして20年目の昨季、J1で初の日本人元Jリーガー優勝監督が誕生した。サンフレッチェ広島の森保一である。これを受け、Jリーグの生みの親である川淵三郎(日本サッカー協会最高顧問)は「それが地道な努力を重ねてきた森保だったことに価値がある」と喜んだ。

「正史」にない戦時下の大会

 今夏の甲子園、松井裕樹(神奈川・桐光学園)という2年生サウスポーが華々しい奪三振ショーを演じた。4試合で、取りも取ったり68奪三振。大会史上3位にランクインした。ちなみに1位は現在、タレントとして活躍している板東英二の83個だ。徳島商のエースとして昭和33年に、この大記録をつくった。板東擁する徳島商は決勝にまで進出したが、山口の柳井高に0対7で敗れた。

商業五輪の中心人物の実像

 ロンドンの次、つまり2016年夏季五輪はブラジルのリオデジャネイロで開催される。言うまでもなく南米初だ。20年大会の開催地は来年9月、アルゼンチンのブエノスアイレスで決定するが、東京、マドリードとともにトルコのイスタンブールが最終選考に残っている。こちらはイスラム圏初を売り物にしている。

芸人の目で一国の姿描く

 イランで最も人気のあるスポーツと言えばサッカーだ。アジア杯での3度の優勝は日本の4度に次いで2位タイ。W杯出場をかけても日本とイランは何度も死闘を展開した。ちなみに日本が初めてW杯出場(1998年フランス大会)を決めた“ジョホールバルの歓喜”の相手もイランだった。

“生き証人”が語る舞台裏

 著者は現役、監督と計43年間にわたってプロ野球のユニホームを着た文字どおりの“生き証人”だ。球界の舞台裏にも精通している。他球団の出来事についても感想を述べているが、やはり自らが当事者であった「重大事件」の解説の方がはるかにおもしろい。

札幌五輪で「宣伝効果」狙った台湾

「飛んだ。決まった」。そう口にしながら中腰になって両手を水平に広げる。金メダルを獲った笠谷幸生の着地を真似したのは私だけではあるまい。転倒しながらも愛くるしい笑顔を振りまき続けたジャネット・リンの演技も忘れられない。

「盟主」巨人の覚悟を問う

 酒場で「オレはG党だ」とか「私はアンチ巨人」とかワイワイ騒いでいた時代、プロ野球は娯楽の王様だった。それゆえ<巨人軍とは何だろう>と大上段に振りかぶられても読む側に抵抗はない。<それは、日本のプロ野球の半分ぐらいを背負って立つものである>。1960年代から70年代にかけてプロ野球を論じることは、すなわち巨人を論じることだった。

日本の指導者に足りぬもの

 著者は日本代表コーチや協会の技術委員長も務めた日本サッカー界屈指の理論派である。前日本代表監督・岡田武史の懐刀としても知られている。このほど中国・杭州緑城の監督に就任した岡田の要請を受け、ヘッドコーチを引き受けることになった。

くじの景品、時代をしのぶ

 今年の11月1日に発売された年賀はがきの枚数は35億6千万枚だったという。単純計算すれば、日本人ひとりあたり、30枚程度の年賀状を出していることになる。電子メールが普及した今でも、年賀状は日本人にはなくてはならないコミュニケーションツールである。

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