「世界一速い男」を決める陸上男子100メートル決勝は五輪の華である。スタートの号砲が鳴った瞬間、スタジアムにはフラッシュの花がいっせいに咲き誇る。
日本初のプロサッカーリーグ・Jリーグは15日、開幕20周年を迎えた。スタートは10クラブだったが、現在はJ1、J2合わせて40クラブでシーズンを戦っている。
「これまで授与されていなかったことが不思議」。ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄への安倍晋三首相の感想は、多くの国民の気持ちを代弁するものだった。
キンシャサの奇跡――。今から39年前の秋、モハメド・アリがWBA・WBC世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマンに挑み、大方の予想を覆して、8ラウンドKOで仕留めたボクシング史上に残る戦いを指す。
Jリーグがスタートして20年目の昨季、J1で初の日本人元Jリーガー優勝監督が誕生した。サンフレッチェ広島の森保一である。これを受け、Jリーグの生みの親である川淵三郎(日本サッカー協会最高顧問)は「それが地道な努力を重ねてきた森保だったことに価値がある」と喜んだ。
スポーツにおけるビジョン・トレーニングの有用性は、今では世界中で認められているが、本書(前田啓子訳、大修館書店)はその走りではなかったか。ここで披露される調査結果と研究成果は、文字どおり目からウロコの連続だった。
さる15日、東京・池上本門寺で力道山の五十回忌法要がしめやかに営まれた。没後50年となる来年には力道山の孫がプロレスデビューを果たす予定だ。
コーカサス山脈の南に位置するグルジアでチタオバという民族格闘技を見たことがある。選手は厚手のチョッキとパンツ、それにレスリングシューズを履いて戦う。
プロ野球シーズンの掉尾を飾る日本シリーズが、27日から始まった。巨人が勝てば3年ぶり、北海道日本ハムが勝てば6年ぶりの日本一だ。
ロンドン五輪が始まる前、日本オリンピック委員会(JOC)は「金メダル数で世界5位以内」との目標を立てた。「そのためには15から18個の金メダルが必要」(JOC上村春樹常務理事)との認識を示した。
今夏の甲子園、松井裕樹(神奈川・桐光学園)という2年生サウスポーが華々しい奪三振ショーを演じた。4試合で、取りも取ったり68奪三振。大会史上3位にランクインした。ちなみに1位は現在、タレントとして活躍している板東英二の83個だ。徳島商のエースとして昭和33年に、この大記録をつくった。板東擁する徳島商は決勝にまで進出したが、山口の柳井高に0対7で敗れた。
ロンドンの次、つまり2016年夏季五輪はブラジルのリオデジャネイロで開催される。言うまでもなく南米初だ。20年大会の開催地は来年9月、アルゼンチンのブエノスアイレスで決定するが、東京、マドリードとともにトルコのイスタンブールが最終選考に残っている。こちらはイスラム圏初を売り物にしている。
針になるな、ハンマーになれ――。この言葉を胸に反骨の人生を生きた女子柔道家がいる。ラスティ・カノコギ。「女子柔道の母」と呼ばれている。彼女がいなければ、女子選手が五輪の畳に上がる時代の到来は随分遅れていただろう。
イランで最も人気のあるスポーツと言えばサッカーだ。アジア杯での3度の優勝は日本の4度に次いで2位タイ。W杯出場をかけても日本とイランは何度も死闘を展開した。ちなみに日本が初めてW杯出場(1998年フランス大会)を決めた“ジョホールバルの歓喜”の相手もイランだった。
8年間で4度のリーグ優勝を達成した落合中日。落合博満前監督の右腕としてチームを支えたのが著者である。文字どおりの「参謀」だった。すなわち本書は「参謀」の視線によるリーダー論である。
著者は現役、監督と計43年間にわたってプロ野球のユニホームを着た文字どおりの“生き証人”だ。球界の舞台裏にも精通している。他球団の出来事についても感想を述べているが、やはり自らが当事者であった「重大事件」の解説の方がはるかにおもしろい。
「飛んだ。決まった」。そう口にしながら中腰になって両手を水平に広げる。金メダルを獲った笠谷幸生の着地を真似したのは私だけではあるまい。転倒しながらも愛くるしい笑顔を振りまき続けたジャネット・リンの演技も忘れられない。
酒場で「オレはG党だ」とか「私はアンチ巨人」とかワイワイ騒いでいた時代、プロ野球は娯楽の王様だった。それゆえ<巨人軍とは何だろう>と大上段に振りかぶられても読む側に抵抗はない。<それは、日本のプロ野球の半分ぐらいを背負って立つものである>。1960年代から70年代にかけてプロ野球を論じることは、すなわち巨人を論じることだった。
将棋の名人戦が毎日新聞社と朝日新聞社の共催となったのは2007年度からだ。毎日単独開催から共催に至るまでのゴタゴタは記憶に新しい。日本将棋連盟と両者との契約期間は5年で、今年3月末で切れる。
著者は日本代表コーチや協会の技術委員長も務めた日本サッカー界屈指の理論派である。前日本代表監督・岡田武史の懐刀としても知られている。このほど中国・杭州緑城の監督に就任した岡田の要請を受け、ヘッドコーチを引き受けることになった。
今年の11月1日に発売された年賀はがきの枚数は35億6千万枚だったという。単純計算すれば、日本人ひとりあたり、30枚程度の年賀状を出していることになる。電子メールが普及した今でも、年賀状は日本人にはなくてはならないコミュニケーションツールである。
小よく大を制す、柔よく剛を制すと言えば、現役時代の舞の海の代名詞だった。1991年の九州場所で、のちに横綱となる曙を内掛けで下した一番はそのハイライトといっていいだろう。
子規こそは「野球の父」である。直球、飛球、四球、打者、走者。これらは全て子規の訳語だ。<生垣の外は枯野や球遊び>など、野球に関する俳句もたくさんつくっている。
日本の領土でありながら自由に上陸できない島がいくつかある。そのひとつが沖縄県の尖閣諸島だ。大正島、久場島、魚釣島、北小島、南小島の5つの島と岩礁から構成されている。
行政改革に辣腕をふるった土光敏夫といえば、「メザシ」で知られる。夕飯の食卓には決まってメザシと玄米。質素な生活ぶりは終生、変わることがなかった。まさしく「清貧の人」だった。