1993年5月15日、Jリーグは華々しくスタートした。あれからちょうど15年がたつ。創設時には10だったクラブ数も今では、J1・18、J2・15の計33クラブに増加した。今回はJリーグ15周年を迎えるにあたり、93年の開幕直前にJリーグ・チェアマン(当時)、川淵三郎氏に行ったインタビューを掲載する。

――Jリーグが開幕した時、一番、問題にされたのが観客動員力でした。27年間の日本リーグの歴史を振り返った場合、そう急激な伸びは期待できないのではないかと。ところがJリーグ・ナビスコ杯がフタを開けるや、そんな心配は、吹き飛んでしまった。正式な1試合あたりの平均入場者数はどのくらいだったのでしょうか。

川淵 決勝戦を含めた数字が、ちょうど11111人。僕の当初の予想では5000人には届かないだろうと思っていたので大成功と言っていいでしょう。ファン層の内訳は3分の1が従来からのサッカーファン、3分の1がサッカーは好きなんだけど、日本のサッカーは弱いし面白くないからという理由でしばらく離れていた出戻りのファン、そして残りの3分の1が、初めてグラウンドにやってきたという新しいファン。Jリーグが成功するためには、この新しいファンを引きつけ続けることが絶対的条件。従来のファンだけに頼っていたのではダメだと思います。

――次にチームの呼称について伺いたい。チームは地域に密着すべきだという理念の下、川淵さんはチーム名から企業名をはずすことを提言し続けてこられました。しかし、いまだに読売新聞と報知新聞だけは「読売川崎」「三菱浦和」と書いています。これは本意ではないのでは?

川淵 そういう書き方が愚かだとまでは言いませんが、僕らのコンセプトからは離れていますね。ただ、ほとんどのマスメディアは、僕らのコンセプトを理解してくれています。当初、各チームに出資する企業には「5年先、10年先には企業名をはずす方向で考えて下さい」と言っておいたんです。赤字が予想されるのに、いきなり企業に、名前を取ってくれとも言えませんからね。ところが、トヨタがトヨタのトの字も出さない、マツダがマの字も出さないということになって風向きが変わってきた。そうなると三菱や日産もいつまでも名前にばかりこだわってはいられないでしょう。その意味で企業名の問題は順調すぎるくらい順調に我々が望む方向に進んでいます。

――スポーツの現場を「企業」や「学校」から、「地域」と「住民」主体に移しかえようという川淵さんのフィロソフィーは大変素晴らしい。ただ、守旧派からの反発も当然、予想されます。現にサッカー部監督を兼ねる高校教師の中には「プロになるよりも、なるべく大学に進学することを勧めている」と明言している人もいます。

川淵 僕に言わせれば、一部を除いて中学や高校、大学の指導者にロクなのはいない。ある名門高校の監督で「プロになったところで将来は分からないし、選手生命も短い」と言ったのがおるんだけど、どの面下げてそんなことが言えるんだと反対に言ってやりたい。自分たちだってサッカーを教えているくせに「サッカーをやめろ」とは何をか言わんやだね。それともサラリーマンになって、将来、会社の中でチョロチョロ生きていけばいいという人間だけ育てればいいと思っているのか。僕はそういう人間を教育者だとは認めないね。

――同じことは高校野球の監督にも言えます。“教育の一環”と言いながら、平気でピッチャーに3連投、4連投を命じ、将来性の芽を摘んでしまう。高校サッカーの現場においても、しばしば同じようなシーンに出くわします。

川渕 無茶苦茶なことをいっぱいやってますよ。そもそも、高校サッカーは、はっきり言えば要らないんだ。地域に密着したクラブチームがあればいい。ただ、今急になくなってしまえば15万人の選手が目標をなくしてしまう。残念ながらまだ受け皿がきっちりしていません。高校の先生でも、本当は我々の発行する指導者ライセンスを持っていない者は指導できないようになれば、選手のレベルは上がるんだけど、実際には教える権利を剥奪するなんてとうていできない。だけど、もしうまくなりたいのなら「高校のサッカー部に入っちゃダメだよ」という空気が生まれることが望ましいね。

 ともあれ、今の日本の学校スポーツは問題が多すぎます。スポーツが好き嫌いではなく、運動神経がいいか悪いかでしか選手を判断しないんだから。下手な選手や下級生は、意味もなくグラウンドの周りを走らされたりする。こんなことやらされたら、誰だってスポーツが嫌いになりますよ。それを教育にすりかえるなと言いたい。

――Jリーグの統一契約書には年齢制限がなく、中学生でもうまい選手ならプロ契約を結ぶことができます。いずれ、高校を中退してプロになる選手が続出した場合、世間から青田買いだという非難を浴びかねない。

川渕 本来なら、中学校さえ出ていりゃ、働いたって何の問題もない。ただ現実問題として、将来、指導者、管理者を目指すのなら、やはり高校くらいは出ていたほうがいいと思う。それで我々は高校を卒業するまでは手を出さないというコンセンサスをつくったんです。ただ、どうしても高校に進まず、あるいは中退してでもプロになりたいという選手が出た場合、その意を無視するわけにはいかない。そのときには、昼間、クラブで練習させながら夜学に通わせるような指導をすることになるでしょう。

――テレビ放映権料は全国放送が1000万円、東京ローカルが500万円で、地方が300万円ですね。しかも米大リーグのように、放映権は一括してリーグが掌握している。テレビ局に対してはずいぶん、強気に出られましたね。

川渕 僕は基本的にはテレビには放映してもらわなくても構いません、という考え方なんです。競技場にどれだけお客さんが来てくれるかが勝負なのであって、テレビは後からついてくるものでしょう。この考え方は最初、読売系からは猛反発をくらったけど、本来、1テレビ局と話し合う筋合いのものじゃないんだからね。僕らはあくまでも各クラブと話し合う。最初は見解をめぐってケンカもしましたけど、今は分かってくれていると思います。

――Jリーグがこのまま上昇気流に乗り、各クラブが黒字になったとします。その場合、「地域」や「住民」にどのような形で還元するつもりですか?

川淵 サッカーとそれ以外のスポーツのための施設をつくるという形で「地域」に還元するつもりです。僕は各チームの財務内容まできっちりチェックするから「ウチさえ儲ければ」という利己主義は許さない。僕はガキ大将的な発想をする人間だからかもしれないけど、親分は力のないヤツの面倒を見る義務がある。スポーツ界の現状を見れば、まだまだガキ大将はプロ野球ですよ。僕が野球界の人間だったら、例えばアマチュア・レスリングのような疲弊している団体に強化費を出しますよ。それがスポーツ・マインドというものでしょう。

――同感です。再びサッカーの現場の問題点に話を戻しますが、審判のレベルの低さを口にする選手が少なくない。ジーコ(鹿島アントラーズ、元ブラジル代表)は「審判のレベルを上げない限り、日本のサッカーのレベルも上がらない」と明言しました。

川淵 たとえジーコであれ、審判に対する文句だけは許さない。だいたい世界中で審判の問題が円滑にいっている国はないんだから。どこの国の選手も、負けたら必ず原因は審判のせいだと言う。そもそも審判という存在は「オマエも試合をやりたいだろうけれど、ひとり中立な人間が必要だから我慢してくれ」とプレーヤーがお願いすることによって成り立っているわけですよ。そういう立場の人間の権威をおとしめてしまったら、試合そのものが成立しなくなってしまう。そのことをもっと考えなさいと言いたい。

――ナビスコ杯ではゴールを決めた直後、グラウンドを飛び出し、不必要なパフォーマンスをする選手が続出しました。これは試合進行の遅延行為だし、広告の看板の前でやれば、スポンサーに利用される、とジーコは危惧していました。

川淵 確かに僕も、ベンチで監督と抱き合ったり、グラウンドの外で喜びを表すのは好きじゃない。いい加減にせい! と言いたいんです。でも、審判にはフィールド内に9人いれば笛を吹いて試合を進める権利が認められています。笛を吹けば解決する問題です。日本の審判に全く問題がないとは言わないが、世界的に見て、そんなにレベルが低いとも思いません。

(この原稿は『月刊現代』93年6月号に掲載された内容を抜粋したものです)

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