夏といえば甲子園。私にとって甲子園での最大のスターといえば太田幸司(三沢)。では最大の怪物は、といえば江川卓(作新学院)である。

 1973年夏。江川擁する作新は春に続いて甲子園にやってきた。センバツで江川は60奪三振(4試合)という大会記録をつくり、“怪物”の異名を欲しいままにしていた。

 8月9日、優勝候補の作新は初戦で九州の強豪・柳川商(福岡)を迎える。ここには松尾勝則というサイドハンダーがおり、投手戦が予想された。

 驚いたのは柳川のバッターたちの構え方だ。なんと4番の徳永利美を除いた全員が江川の投球と同時にバントの構えをとったのだ。知将と呼ばれた福田精一監督は江川の高校生離れしたストレートを攻略するため、恥も外聞も捨てて、スッポンのようにくらいつく作戦を指示したのだ。

 しかし、それでもうなりを生じてホップする江川のストレートをとらえることはできない。江川のスピンのきいたストレートは、柳川の打者たちが胸のあたりで構えるバットのさらに上を通過していったのである。
 
 結局、このゲーム、江川は15イニングをひとりで投げ切り、2対1のスコアで粘る九州の強豪を退けた。奪った三振、実に23。ストレートは春に比べると、ややかげりが見られた。それでも、ここぞの場面で投じる1球には凄みがあった。打者は通過駅のプラットホームで新幹線を見送るように、決め球のストレートの前には茫然と立ち尽くすしかなかった。

 だが、この夏も江川は頂点には立てなかった。春夏通じての甲子園成績は6試合に登板して4勝2敗、防御率0.46、奪三振92――。甲子園で「怪物」の姿を目にしたのは後にも先にも江川卓ただひとりである。


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