「こんな島国で頂点に立てない人間が、世界の頂点に立てるわけがない」。異端のマラソンランナー中山竹通がそう言い切ったのは1987年12月6日のことだ。

 ソウル五輪代表選考を兼ねた福岡国際マラソン。冷雨の中、中山は2時間8分18秒という好タイムで優勝を飾った。

 ライバルの瀬古利彦は故障を理由に出場しなかった。レース前、「僕なら這ってでも出る」と中山は言った。翌日の新聞には、こんな挑発的なコメントが躍った。「瀬古さん、這ってでも出てこい!」

 中山は私のインタビューにこう答えた。「瀬古さんは“神が与えた試練”だとか言っていますが、確かにそれは神が与えた試練なんです。多少のハンデはあってもその体で福岡に出て、勝ってオリンピックに出る。それこそは神が与えた試練なんですよ」。気持ちのいいほどの正論だった。

 長幼の序を重んじる陸上界で中山が悪役になるのは時間の問題だった。いや、その前から中山は疎んじられていた。いわゆる反体制派のランナーだったからだ。

 しかし、誰が何と言おうと、中山ほど魅力あるマラソンランナーはいなかった。福岡の冷雨の中での疾走は、今も私の脳裡にこびりついて離れない。

 レース後、福岡市内のふぐ屋で祝杯をあげた。本人はもう忘れているかもしれない。こんなことがあった。実はほんの数百メートル、沿道を全力で走った少年がいた。中山はそれがひどく気にくわなかったようだ。語気を荒げてこう言った。「こっちは42.195キロも走らなければならないんだ。ちょっとくらい走って僕に勝ったと思っていたら大間違いだ!」。一瞬、まわりは水を打ったようにシーンとなった。

 彼はいつも真剣だった。誰よりもマラソンを愛していた。いや、マラソンでしか自分を表現することができなかった。その表現の凄まじさに誰もが心を打たれた。中山竹通の42.195キロは修羅の街道だった。


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