「クンロク(9勝6敗)大関」と揶揄されたが、貴ノ花ほど土俵をわかせる相撲をとった力士は他に知らない。まさに「横綱を超えた大関」だった。

 星の数ほどある名勝負の中で、ひとつあげろといわれれば、1972年1月16日、初場所中日での横綱・北の富士戦だ。

 土俵中央で北の富士が外掛けに出た。これを必死でしのぐ貴ノ花。北の富士はもう1本の足でも外掛けを仕掛けた。さらに北の富士は全体重を浴びせるようにして貴ノ花の上に覆いかぶさった。
 
 体を弓なりにしてこらえる貴ノ花。勢い余って北の富士の右手は土俵についた。行司は北の富士の「突き手」として貴ノ花に軍配をあげたが、物言いがつき、結局、北の富士の「かばい手」が認められた。

「突き手」か「かばい手」か。当時、相撲ファンを二分する大激論に発展した。今ならインターネットに意見があふれ返っていることだろう。

 ひとつの判定があれほどの議論を喚起したのは、ひとえに貴ノ花の強靭な足腰に依る。土俵際、貴ノ花はつま先一本で残ることができた。もし相撲が柔道のように体重別になっていたら、100キロ級は間違いなく貴ノ花の天下が続いたはずだ。

 北の富士も役者だった。135キロの体重は当時としては重いほうだったが動きは俊敏で、足技も巧みだった。60年代から70年代にかけて相撲は本当におもしろかった。


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