タテジマのユニフォームを着ると痩身がさらに際立って見える。この痩身のサウスポーが珍プレーの主役となったのは今から7年前のことである。
 対ライオンズ戦。ブルーウェーブのスターターとしてマウンドに上がった星野伸之のボールを、あろうことかキャッチャーの中嶋聡(現ライオンズ)はミットでなく素手で捕り、そのまま投げ返してしまったのだ。
 おさまらないのは星野である。いくらボールが遅いとはいえ、素手でプロのピッチャーが投げた硬球を掴むとは何事か! 恥ずかしいやら、腹立たしいやら……。
「バカヤロー、ピッチャーの投げたボールを素手で捕るバカがいるか!」と、顔を真っ赤にして怒った星野だが、もう後の祭り。この時ばかりは敵味方なく両軍ともベンチは爆笑の渦。草野球ですら見られないような珍プレーに、審判まで笑い転げてしまった。

 さらには、こんな後日談も。
「中嶋のヤツ“ミットを動かしたけど、届きませんでした”とシャアシャアと言い訳したんです。でも後でVTRを見ると、少しもミットを動かしていない。もうムカムカしましたよ」
 せめてもの救いは、素手で捕ったボールがストレートではなくカーブだったことか。
「あれは許されませんね」
 と水を向けると、星野は苦笑いを浮かべて言った。
「でもね、困ったことに実際に(素手で)捕れてしまうボールなんですよ」
 希代の遅球王はいかにして誕生したか?
 
―― ドラフト前だったかな。高校時代(旭川工)の星野さんの記事を目にしたことがあります。確かタイトルは『北の奪三振王』でした。その頃は速いストレートを投げていたのでしょう?
星野 いや速くなかったですね。でもまぁ、三振は結構、とれていました。カーブと真っ直ぐの組み合わせで。まぁ、それなりに本格派っぽくやっていましたね。

―― ストレートの遅さに気付いたのはプロに入ってから?
星野 あれは(プロに入って)3年目くらいですかね。一軍で投げるようになって、ものすごく恥ずかしい思いをした。だってスピードガンにストレートの速さが表示されるじゃないですか。120何キロとか……。どうしても思ってしまいますよ、もっと出ないかなって。あの頃の僕は相手と闘う前にスピードガンと闘っていた。

―― バックスクリーンに映し出されるスピード表示を、振り返ってみたりしましたか?
星野 やはり気になりましたね。もうちょっとフォームかえたら速くなるんじゃないか……そんなことも思いました。今でも時々、思うことがありますけどね。

―― 結構、きついヤジも飛んでいましたね。
星野 いや、それは気にならなかった。ただ一回、聞いた途端、マウンドで笑いこけそうになったことがあります。確か秋田で投げた時だと思うのですが、ものすごく試合時間が長かったんです。で、お客さんが何というかと思ったら、「オマエがそんなに遅い球投げるから、試合時間が長いんだよ」。これには笑いましたね。なるほど、うまいこと言うなと思いましたよ(笑)。

―― ところでボールを隠すようになったのはいつ頃からですか?
星野 よく聞かれるんですけど、自分でもはっきり覚えていないんです。今、オリックスでバッティング・ピッチャーをやっている清原が「僕が入ってきた時には、もう今のフォームでした」と言っていたから、おそらく入団して5、6年目には、もうそうなっていたんでしょうね。

―― バッターにとってボールの出所がわからないことほど嫌なことはないのですが、隠すようなきっかけは?
星野 特に隠そうという意識はなかったのですが、昔は自分の背中越しにボールの握りが見えていたんです。球種が全部バレていた。それをなおそうとしたところ、今のフォームになったんです。

―― しかも、星野さんは球持ちがいい。ボールは遅くとも、打者に近いところでボールをリリースすることができる。こうしたフォームはいつ頃から意識し始めたのですか?
星野 プロに入った時のピッチングコーチが足立光宏さんでした。その足立さんに最初に言われたのが、「オマエは力で投げるピッチャーじゃない。フォームで投げるピッチャーだ」ということでした。
 最初、はっきりとその意味はわからなかったのですが、徐々にわかってきましたね。ただ、僕に“ボールを前で離そう”という意識はあまりないんです。それを意識し過ぎると体のバランスを崩してしまいそうな気がする。
 意識しているとしたら、リリースまでリラックスした状態をつくるということでしょうね。ボールも前で離すのではなく、普通のリリースポイントの手前で離せばいいと思っている。また、その方が体の力を伝えられると思うんです。

―― 言うならば“脱力投法”ですか?
星野 そうですね。何というんだろう。体に芯はあるけれど、他の部分には力が入っていない感じ……。

―― 次に投球術についてお聞きします。星野さんのストレートは現在、MAXで120km後半ですが、120km台前半もあれば110km台もある。つまりストレートだけで3種類もあるわけです。110km台のストレートのあとに130km近いストレートを投げ込めば、そのボールはすごく速く見える。要するに打者の目を幻惑しているわけですが、これはいつ頃から意識し始めたのですか?
星野 ウ〜ン、これもはっきりとは覚えていないのですが、多分に感覚的なものです。(スピード変化は)自分の判断でやっています。キャッチャーから“110kmのストレート”とかいうサインはありませんね。

―― チェンジアップは別として、ストレートに“球速差”をつけるピッチャーは、そうはいませんね。
星野 どういうことですか?

―― ストレートに自信のあるピッチャーは自分のMAXをどこかで刻み、そこから変化球をまじえてピッチングを組み立てようとはしますが、130kmのボールを見せておいて次は140km、最後は130kmというように同じ球種でピッチングを組み立てるという発想の持ち主はそうはいませんね。強いていえば、ちょっと力を抜いたコースへのストレートでカウントを稼ぎ、追い込んでから150km近い高めのボール球を胸元に投げ込む――この手を使うピッチャーは結構いるのですが……。
星野 ああ、なるほど。はい、はい。よくわかります。ただ僕の場合、球速差をつけるというピッチングは苦肉の策だったんです。これを覚えないことにはバッターを打ちとれなかった。つまり切実な問題だった。

(後編につづく)

<この原稿は『Number』(文藝春秋)2000年6月29日号に掲載されたものです>
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