「きょう限りで引退させて頂きます」
 寝耳に水だった。
 その一言で報道陣は騒然となった。
 2004年6月8日。
 びわこ競輪「第55回高松宮記念杯」(GⅠ)を制した直後、松本整の口から衝撃的な引退発言が飛びだした。

 45歳で史上最年長GⅠ制覇。晴れやかな舞台となるはずだった記者会見場が一瞬にして静まり返った。

 おもむろに松本は語り始めた。
「自分の有限な人生を考えたとき、これから先、日本一を争えないレースに出続けることは、あまりにも犠牲が大き過ぎる。僕はこれまで命をかけて競輪に打ち込んできました。それがもう、かなわないのであれば、これ以上競輪を続ける意味はない」

 そして、こう続けた。
「2カ月の間、これだけにかけてきた。引退の話は誰にもしてません。引退するから勝たせてもらったと言われるのが嫌だった。努力はウソをつきませんでした」

 目は真っ赤に充血していたが、ヘルメットを脱いだ45歳に涙はなかった。なぜなら、彼にはまだ別の戦いが残されていたからである。

 松本は日本自転車振興会、日本競輪選手会と激しく対立していた。ペナルティの累積点がかさみ、7月からはS級からA級への降格が決まっていた。彼は日本自転車振興会による斡旋停止の罰則と日本競輪選手会の内部制裁を、憲法に違反する「二重処罰」に抵触する疑いが濃いとして、法廷闘争も辞さない構えを示していた。

「僕は危険な行為をしたとは思っていない。審判の“誤審”を見逃し、選手だけに制裁を加える今のシステムはおかしい」
 こう公言してはばからない松本の存在は日自振や日競選からすれば、いわば“目の上のタンコブ”だった。

 高松宮杯のずっと前から、松本はこのレースでの引退を決めていた。その決意は誰にも明かさなかった。引退をほのめかすことで車券に影響を与えることを避けたいとの思いがあったからだ。

 引退をほのめかせば、レースに余計な興趣が加わることになる。他の選手に与える心理的影響も小さくはない。最後まで彼は第三者の予断が介在しない真っさらなレースがしたかったからだ。

 自らの生き様にきっちりと落とし前をつけた45歳は、跡を濁すことなく風のようにバンクを去っていった。


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