星野 何となくコツを覚えたきっかけは、フォアボールを避けようとしたことです。たとえばワンスリーやノーツーというカウントで、一番嫌うのは、バッターにボールを見送られることです。フォアボールになってしまいますから。全力で投げてボールがボールひとつはずれたりすると最悪ですよ。
 特にランナーがいない場合など、どうせ出塁を許すんだったらヒットの方がまだいいんです。打ってくれれば、ど真ん中のボールでも野手の正面をついてくれることがある。ジャストミートされてもヒットになるとは限らない。
 そこで“ヒットを打ってくれ”という気持ちで開き直って遅いストレートを投げました。ただ、ど真ん中に投げてドカンと大きいのを打たれるのは嫌なので、ちょっと抜き気味のストレートを投げた。バッターのタイミングがちょっとでも狂えばいいかな、という気持ちですよ。すると、これがおもしろいように成功するんです。うまい具合にバッターのタイミングを狂わせてくれる。あぁ、これはおもしろいぞ、使えるぞと……。

―――その場合も腕はしっかり振るんでしょう?
星野 そうですね。自分では一生懸命、振っているつもりなんですけど、キャッチャーやバッターには、どこか加減しているように見えるらしいんです。要するにキャッチャーミットに置きにいくという感覚。“抜きますよ”という感覚で投げている。キャッチボールの要領ですね。

―――ボールを置きにいく! 野球界の一般常識では、それは一番やっちゃいけないことだといわれてますね。どんなに遅いボールでも腕を振ってしっかり投げろ、ストライクを欲しがってボールを置きにいくと痛い目にあう。10人が10人、ピッチングコーチはそう言いますよ。
星野 バッターって有利なカウントにすると必ずといっていい程狙い球をしぼってきますからね。どんなボールでも打ってやろうとは考えないんですよ。
 まぁ、僕の場合は苦しまぎれで放っているわけですが、大切なのは“打たれてもいいや”という気持ちなんです。この気持ちだけはこれからも忘れずに持っていたい。

―――ちょっと待ってください。“打たれないぞ!”ではなく“打たれてもいいや”という気持ちが大切なのですか?
星野 そうですよ。下手に気合を入れて力で抑え込もうとすると、逆にタイミングを合わされちゃいますからね。“どうぞ、打ってください”という気持ちの方が大切なんです。

―――打ってくれ、といわんばからにボールを置きにいく……。
星野 はい。というより、僕の場合はそれしかできないんです。そりゃ140kmのボールが投げられたら、僕だって力で抑え込むようなピッチングをしていますよ。

―――120km台のストレートがピッチング観をかえたというわけですね?
星野 カーブのスピードは別に何キロでもいいんですよ。でもストレートが130kmも出ないというのは、やはりコンプレックスでしたよ。これが草野球なら、まだ速い方かもしれませんが、僕がやっているのはプロ野球ですからね(笑)。たとえばオリックス時代、平井正史という150km台のストレートを投げるクローザーがいたのですが、バッターはストレートが来るとわかっていても打てない。見ているだけで羨ましかったですよ。

―――そういえば当時、オリックスに高木晃次というドラフト1位で入団したサウスポーがいましたね。ノーコンで150km近いボールを投げていた。こりゃ楽しみな逸材だ、と思って待っていたのですが、いつまでたっても芽が出ない。もうダメかと思っていたら、ヤクルトに移ってから、一皮むけました。150kmのストレートが130km台になり、横手から投げるようになっての大変身。彼はピッチングのコツを掴むのに13年もかかってしまった……。
星野 彼ね、オリックスにいる頃は初球から全力で投げていたんです。150km近いストレートをビュンビュン投げる。それでボール、ボールとなり、苦しまぎれに130kmのストレートを投げたところ、そこを狙われる。いつもこのパターンで自滅していました。
 つまり150kmのストレートを持っているとはいっても、実際に勝負しているボールは130kmの棒球だったんです。それだったら、最初に130kmのストレートでカウントを稼ぎ、追い込んでから150kmのストレートを投げた方がいいじゃないですか。追い込んでからなら、少々のボール球でもバッターは振ってくれますよ。組み立て方が逆じゃないかと、ずっと僕は思っていた。だけど140km以上出る人というのは、なかなかそうは考えない。バッターのことより、自分のことを先に考えるんでしょうね。

―――なるほど。その点、星野さんはバッターはもちろん、状況を見ながら投げることができる。常にアウトカウントとボールカウントを意識して投げているように見えます。
星野 そうですか。たとえば足の速いランナーが一塁にいたら、1球目からど真ん中にストレートを投げてもいいと思うんです。スチールがあると思うと、なかなか1球目から手を出してきませんからね。逆にエンドランをかけられて墓穴を掘ってしまうこともあるのですが、そこらへんは勝負だから仕方がない。それを怖がっていちゃピッチャーは務まりませんよ。

―――この前、あるパ・リーグ出身のバッターに星野さんのことを聞いたら、“彼を打とうと思えば常識を捨てなければならない”というんです。具体的に言うと、普通バッターはそのピッチャーの一番速いボールを頭に入れて打席に立つ。つまりストレート待ちで、変化球にも対応する――というのが一般的ですね。ところが、星野さんが相手の場合は変化球待ちでいいんだと。狙いがはずれてストレートがきても、まだ間に合うと。ただ頭ではわかっていても、ストレート待ちの習性が抜け切れないため、いざとなると対応できないというんです。いかがでしょう?
星野 あぁ、なるほどね。僕はバッターじゃないのでその感覚はわからないけど、言わんとしていることはわかりますよ。おそらくバッターにすれば遅い球を投げられると、考える時間が増えて困ると思うんです。打ち損じはもったいないとか、いろいろ考えるでしょう。そこに僕の付け込む余地が出てくる。バッターをはぐらかすというのかな。狙いをはずした時の快感というのは速いピッチャーには理解できないでしょうね。

―――これまで野茂英雄、伊良部秀輝、松坂大輔ら豪速球投手と投げ合ってきたわけですが、彼らを見ていてどう思いますか?
星野 ウ〜ン、僕よりは考えることが少ないだろうな……(笑)。彼らは困れば真っすぐを投げ込めばいい。打たれたらしょうがないという気持ちでね。でも、僕の場合、普通に待たれたら打たれるボールばかりなんですよ。その中から、打たれる確率の少ないボールやコースを選択しなくちゃならない。だから僕は常に不安と背中合わせですよ。

―――やはり、速いボールを投げるピッチャーは羨ましい?
星野 いや、もうこの歳になって速いボールで三振とりたいなんて思わないですよ。ただ一度くらいは140kmの体験をしてみたい。いったい、どんな感覚なんでしょうね……。

 あえて名づけるなら一人時間差投法。
 引力に従順な彼のボールは、時として縫い目が見えるほどに遅く、140kmのボールに対して作動するようにセットされた打者の体内の計器を微妙に狂わせる。
 巧妙なトリックを支える高度なロジック。
 遅球が囁く禁断の木の実にも似た甘い誘惑。マジシャンのタネは尽きない。

<この原稿は『Number』(文藝春秋)2000年6月29日号に掲載されたものです>
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