スポーツ行政ではオリンピック、パラリンピックが終了し、その反省を踏まえた新たな施策を考える時期がきています。しかし、スポーツ予算の拡充に対しては、「国民生活が逼迫しているのに、娯楽にお金はつぎ込めない」と反対が強いのが現状です。スポーツが単なるトップアスリートのものではなく、みなさんの生活を健康にし、地域を活性化させるための有効なツールであるとの認識がまだまだ広がっていないことを実感します。
 その要因にスポーツの縦割り行政が関係していることは間違いありません。典型的なのは五輪を担当するのが文部科学省、パラリンピックを担当するのが厚生労働省とバラバラに分かれていること。そのため、メダリストに対する報奨金ひとつとっても異なります。パラリンピックの選手に報奨金が出るようになったのは、今回からです。

「ナショナルトレーニングセンターで練習したいのに使えない。文科省に問い合わせても返事が来ない。JOCが宿泊施設も押さえているため、合宿も難しい」
 僕もあるパラリンピックの競泳関係者からこんな内容のメールをいただきました。その後、話し合いで何とか合宿が実現したのですが、同じスポーツとして協力体制が築けないのは不幸です。五輪もパラリンピックも僕たちに大きな感動を与えてくれました。それほどスポーツには大きな力があります。学校体育や競技レベルの向上は文科省、健康増強のためのスポーツは厚労省と役割が分かれたままでは有効な政策は打ち出せません。普及、育成、強化を一手に担うスポーツ庁の必要性を改めて強く感じました。

 さてご存知のとおり、福田康夫首相が突然の退陣を表明し、麻生太郎さんが新総理になりました。麻生さんとは衆参の議員が一同に会する国会の開会式で隣の席になったことがあります。サッカーくじについて、少し話をしました。

 ただ、これまでの麻生さんの発言を振り返ってみると、首を傾げたくなるようなものがたびたび見受けられます。今回の総裁選でも、「(豪雨が)安城や岡崎だったからいいけど」と発言し、被災された地区から批判を浴びました。本人は「失言癖が周囲から心配されている、麻生太郎です」と自虐的に語っていましたが、失言は笑い話で済むことではありません。

 人間の本質は言葉に出ます。特に政治の世界では、言葉ひとつが国のあり方に重大な影響を及ぼす可能性があります。言葉の“軽い”総理がリーダーとして適格なのか。今後の論戦を通じて、それは明らかになることでしょう。

 そもそも、なぜこの時期に福田さんは政権を放り出してしまったのか。「私は自分自身を客観的にみることができるんです。あなたとは違うんです」。辞任会見の最後に福田さんは、こんな発言をしましたが、客観的にみれば、「状況を打破するため」には、1日も早く国会を開くべきでした。

 福田さんは8月に内閣を改造し、辞任表明の3日前に補正予算案編成の指示を出しました。本当に国民生活のことを考えて、補正予算を組むのであれば、1日でも早く成立させようと努力するのが筋でしょう。結局、総裁選で騒いでいる間、政治はほとんど動けずじまいでした。汚染米の問題や、リーマン・ブラザーズの破綻に伴う金融不安……。政治が対処しなくてはいけない課題は総裁選の間にも次々と起こっています。

 それでも職を辞してしまった理由は、ただの「選挙目当て」しか考えられません。現に麻生さんの支持率が下がらないうちに解散総選挙を仕掛けようという動きは現実味を帯びてきています。総裁選自体は最初から出来レースでした。それでも投票権のない一般の人たち向けに街頭演説やメディア出演を繰り返したのは、選挙の前宣伝だったと思わざるを得ません。

 昨年、選挙を初めて体験してみて、不思議なことがたくさんありました。たとえば、マニフェストの配布には制限がかかっています。自分の政策をひとりでも多くの方に知ってほしいと思っても、実際にはわざわざマニフェストを取りに来ていただかないといけないような状況です。これでは「政策論争を」という時代の要求に応えることはできないでしょう。

 一方、ポスターの掲出は規制があってないようなものです。一応、公職選挙法では、選挙前に個人の政治活動を宣伝するポスターは掲出が認められていません。ところが、実際はどうですか。どこの街にも議員の顔が大きく映ったポスターがベタベタ貼られてはいないでしょうか。よく見ると、各政党主催の講演会の告知となっています。こちらは政党の政治活動とみなされ、選挙前の制限がありません。しかも、実際に告知された日に講演会が開催されることはほとんどない。つまり、事実上が選挙のためのポスターなのです。

 みなさんのおかげで初の国政選挙を当選させていただき、僕は制度を変えられる立場にいます。民主主義のシステムにおいて、選挙はもっとも大事なもの。インターネットを通じた活動など、旧態依然とした選挙運動にメスを入れることも自身に課せられた仕事だと感じています。

「国会議員なのに、国会が3カ月間もない。それで給料をもらえるなんて」。僕自身もみなさんから厳しい言葉をいただいています。政権は放り出せても、生活は放りだせません。政治の目的は、いい日本、いい社会をつくること。選挙はそのための手段に過ぎません。

 どうも、この国の政治は手段と目的が逆になっている感があります。みなさんが豊かになるのであれば、本来は自民党政権だろうが民主党政権だろうが、関係ないはずです。政治はいわば帆船。国民のみなさんの風なしで動くことはできません。ぜひ、次の総選挙ではみなさんの1票1票で風を起こしていただければと思っています。


友近聡朗(ともちか・としろう):参議院議員
 1975年4月24日、愛媛県出身。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にベスト8入りを果たす。早稲田大学を卒業後、単身ドイツへ。SVGゲッティンゲンなどでプレーし、地域に密着したサッカークラブに感動する。帰国後は愛媛FCの中心選手として活躍し、06年にはJ2昇格を達成した。この年限りで現役を引退。愛称はズーパー(独語でsuperの意)。07年夏の参院選愛媛選挙区に出馬し、初当選を果たした。
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※当HP編集長・二宮清純の携帯サイト「二宮清純.com」では友近議員の現役時代から随時、コラムを配信していました。こちらはサッカーの話題を中心に自らの思いを熱く綴ったスポーツコラムになっています。友近聡朗「Road to the Future」。あわせてお楽しみください。
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