一世を風靡したプロレスラー、ビル・ロビンソンの代名詞といえば「人間風車」だ。得意技のダブル・アーム・スープレックスで、弧を描くように相手を宙に舞わせ続けた。華麗なる大技を駆使する一方で、シュートレスリングにも滅法強く、誰からも一目置かれた。

 そのロビンソンが日本マット界のエース、アントニオ猪木と一度だけ対戦したことがある。1975年12月11日、蔵前国技館。新日本プロレスは、この一戦に「夢の対決」とのタイトルを付けた。

 果たして試合は名勝負となった。1本目を制したのはロビンソン。42分、逆さ抑え込みで電光石火のフォールを奪った。このままロビンソンが逃げ切るかと思われたが、タイムアップ寸前で猪木が卍固めを決め、1−1のタイに。結局、試合はドローに終わった。

 当時、アントニオ猪木は自らのレスリングを「ストロング・スタイル」と呼んでいた。ガチガチのセメントファイトではないが、ショーマンスタイルとは一線を画す、まさに“過激なプロレス”。ロビンソンとの息詰まるような死闘は、近代プロレスのひとつの理想形だった。

 だが、この直後ロビンソンは戦いの場を新日本プロレスから全日本プロレスに移す。ジャイアント馬場に引き抜かれたのだ。ボボ・ブラジルやフリッツ・フォン・エリック、あるいはディック・ザ・ブルーザーといった“剛球派”のヒールに対しては名勝負を繰り広げてきた馬場だが、筋金入りのテクニシャンであるロビンソンとは基本的に手が合わなかった。

 猪木とロビンソンの試合なら何度でも見たかった。しかし、と思う。1度きりだったからあれだけの感動が得られたのかもしれない、と……。


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