アステカ・スタジアムには10万人を超える大観衆が集結していた。もちろん全員が地元メキシコのサポーターだ。異様な空気がスタジアムを包んでいたことは想像に難くない。

 1968年10月24日。メキシコ五輪サッカー3位決定戦。日本対メキシコ。勝利の立役者はエースストライカーの釜本邦茂だ。前半17分、黄金コンビと呼ばれた左サイドの杉山隆一からのクロスを胸でトラップし、左足を振り抜いた。さらに39分、再び杉山のクロスに合わせ右足でミドルシュート。2対0でメキシコを退け、アジア勢として初のメダル(銅)を獲得したのだった。

 釜本のストライカーとしての素質を見抜き、鍛えたのが「日本サッカーの父」と呼ばれるデットマール・クラマーである。クラマーは若き日の釜本にこう告げたという。「ストライカーはハンターのようなものだ。獲物を一発で仕留めなければならない。もし、しくじったらオマエが獲物に食い殺されるだろう」

 メキシコ五輪の日本代表監督は、この6月に死去した長沼健。生前、彼は私にこう語った。「ガマ(釜本の愛称)が右45度の角度でボールを持っただけで僕たちは腰を浮かせたものですよ。もう点を獲ったも同然だから。今、そういうストライカーは日本にはいないね」

 不出世のストライカーと天才的なパサーによってもたらされた銅メダル。あれから、ちょうど40年がたつが、あの日の栄光が今でも色褪せないのは、日本のサッカーにシンプルゆえの輝きとたくましさがあったからである。


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