日本シリーズ20連勝という森監督の不敗神話にピリオドが打たれた。このシリーズ、ライオンズは先取点を奪った3試合を全てものにし、先取点を奪われた4試合を全て失った。結論をいえば、今年のライオンズには試合を引っくり返すだけの力がなかった。徳俵で相手の寄りをこらえるだけの力はあっても、寄り返し、反対側の土俵の外に相手を投げ捨てるだけの底力は持ち合わせていなかったのである。
 それでも、敗れてなお強し、と考えるべきか、いや、もはやライオンズに復権はないと考えるべきか。短兵急に問われても、筆者には判断のしようがない。なるほど盛者必衰とはよく言ったものだが、不敗神話の崩壊を目のあたりにして、筆者の脳裏には多少の混乱が生じている。
 森西武はなぜ敗れたのか。それを問うことは、すなわち森監督はなぜ勝ち続けたのかを探ることと同義ではないのか。そう仮定した上で、あえて問いかけてみたくなる。果たして、森野球とは何だったのか……。

「勝ち続けることがいかに難しいことであるか、それはやった者じゃないと分からない」
 上田利治(元オリックス監督)は、問わず語りに、そう切り出した。1975年から77年にかけて日本シリーズ3連覇を達成した希代の知将も、どうしたわけか森祇晶に対しては分が悪い。阪急のコーチ時代、巨人のレギュラーだった森と5度対決し、全敗。78年には森がヘッドコーチを務めていたヤクルトと対戦し、阪急はV4を阻まれている。言わば天敵である。
「彼に負けたのには、全て理由があるんです」
 そう前置きをして、上田は語り始めた。

「まず71年の日本シリーズです。それまで3回巨人に挑み、阪急はいずれも敗れていた。しかし、この年だけはチームに勝てるという自信がみなぎっていた。巨人は扇の要である森の肩に衰えが見られ、しかも阪急には福本という切り札がいた。“森さえ潰せば勝てる”。私たちはそう考えてシリーズに挑んだんです。初戦、2対1と負けていて迎えた9回裏です。ヒットで出塁した福本が走るやいなや、森はウエストし、見事なクイック・モーションでピシッと刺してみせた。この日、阪急は4度盗塁を試みて3度失敗。結局、これが尾を引いて、このシリーズ、阪急は自慢の足が使えなかった。こりゃいかん……。初戦で受けたショックを、チーム全体が克服できなかった」

 続いて、翌72年の日本シリーズである。1勝2敗で迎えた4戦目、阪急は9回裏に無死1、2塁のチャンスを得る。巨人は先発の関本を諦め、リリーフに堀内を送った。その堀内を囲むようにして、マウンド上で円陣が組まれた。
 阪急の打者はキャッチャーの岡田。西本監督は巨人の裏をかいて、バントではなく強攻を命じた。岡田のバットが快音を発した瞬間、上田はコーチャーズ・ボックスの中で小躍りした。しかし――。ショートの頭上を襲った球は、黒江の好捕にあい、あえなくゲッツー。試合後、西本監督は「岡田に打たせたのはもつれるより一気に勝負しようと思ったからだ。いい当たりだったし抜けていれば場面がかわったんだ」と悔しさのあまり声を荒げたが、後の祭りだった。
「あの時、なぜバントシフトをとらなかったんや? もしバントシフトをとってたら、黒江は二塁ベース方向に動くため、逆モーションとなって打球は抜けてたんや」
 数年後、上田は森に訊ねた。返ってきたセリフはこうだった。
「円陣を組んだやろう。あの時に“ウチは動かん。スイングを見てから対処しよう”とオレが言ったんだ。バスターとか、いろいろあるやろうと思ってな」
「結局、この年のシリーズも森の頭脳的なファインプレーにしてやられたんです」
 唇を噛みしめながら、上田は語った。

 それから6年、78年の日本シリーズはチームの置かれた立場が入れかわっていた。74年に監督に就任した上田は、翌年から日本シリーズ3連覇、阪急は黄金時代を築き上げていた。翻って森がヘッドコーチ務めるヤクルトは、監督の広岡達朗の言に従えば「あらゆる面で未完成のチーム」。日本シリーズは「阪急圧勝」との見方が支配的だった。しかし、勝負事はやってみなければ分からない。シリーズを制したのは、明らかに力が劣ると見られていたヤクルトだった。
 敗因として、上田は2つのポイントを指摘する。
「まず1勝1敗で迎えた3戦目。阪急は足立が4安打完封勝ちをおさめたんですが、4回、僕にとってはものすごくショックなことがあった。1死3塁、バッターは中沢という場面。得点は2対0で阪急リード。ここで僕は初球にスクイズのサインを出した。ところが、まんまとこれをはずされてしまった。そのシーズン、阪急は66個しかバントを決めていない。いわば奇襲やのに、森は“阪急は足立が投げているから1点とって逃げ切る腹や”と考えたんでしょうね。どうにか試合には勝ったが、“オレのサインは見破られている“と思うと疑心暗鬼になり、シリーズを通して僕の采配に影を落としてしまった。
 そして迎えた4戦目。阪急は5点リードを引っくり返され5対6で最終回を迎えた。1死1塁、福本がゲッツー崩れで出塁した。3球目にスチール、ところが松岡の一世一代のクイック・モーションで刺されてしまった。もちろん森のサインです。“なぜ、あのサインがわかったんや?”と後で森に訊くと、彼は事もなげにこう言いましたよ。“福本というランナーはヒットで出ると1球目から走ってくる。ところがエラーやゲッツー崩れの出塁だと、気分が乗らないのか、1、2球目を見送り3球目で走ってくるケースが多い。それが福本というランナーの心理や”。これには脱帽するしかなかったですね」

――野球をやさしく説明すると?
「用意周到、準備万端、目配り、気配りの野球ですよ。相手の弱点を徹底してついてくる。ただデストラーデが抜け、主力が高齢化した今年の西武はナマクラ四つでは相撲のとれないチームにかわっていた。立ち合いでかまし、得意な組み手でまわしを取らないことには勝ちパターンに持ち込めない。そのへんで森監督は苦労したんじゃないかな。今の西武はとるべき戦法がある程度決まっているから、読みやすいんです」
 立ち合いでかまし、得意な組み手でまわしを取らないことには勝ちパターンに持ち込めない――。上田の言説を如実に物語っているデータがある。今シーズン、西武は先取点を奪った試合に7割6分2厘と大幅に勝ち越し、しかも両軍合わせて5点以内のゲームでは29勝20敗2分け、勝率にして5割9分2厘とトータルの勝率(5割8分3厘)を上回った。“サンフレッチェ”と呼ばれる潮崎、鹿取、杉山の3人のリリーフ投手の奮闘ぶりを数字からもはっきりと見てとることができる。

(中編に続く)

<この原稿は『Number』(文藝春秋)1993年11月30日増刊号に掲載されたものです>
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