「着いたよ。ここだ」
 ドゥンガは車から降りると、道路の下を指さした。
 そこには、粗末な建物が並ぶ、貧民街が広がっていた。サンパウロやリオでは、場所によっては、遠くからカメラを向けるだけでも気をつけなければならない。

(写真:ドゥンガが援助する貧民街の施設の子供と)
「これでもだいぶましになったんだよ。前はバラック造りの家しかなかった。僕たちが事を起こすことによって、州政府も見過ごしていくわけにはいかなくなって、援助するようになったんだ」
 ドゥンガは、強い太陽の光を手で遮りながら、前庭に菜園のある木造の家を指さした。遠くから見るとあばら屋に見えるが、中にはよく手入れされた家もあった。
「写真を撮ってもいいかい」
「好きにどうぞ」
 ドゥンガは頷いた。
 シャッターを押した後、いつもの癖でカバンの中にカメラをしまった。
 ブラジルだけではないが、カメラを提げて歩いていれば、盗みの標的にされる。これは様々な国を旅してきた習慣である。

 何度か、僕がシャッターを切ってはカバンの中にしまうのを見ていたドゥンガが笑った。
「そこまで気にしなくていいよ。ここでは僕の仲間であることが分かれば、全く安全だ」
 ドゥンガは、現役引退した後、「ドゥンガ財団」を設立した。この財団は、ポルトアレグレの街にあるこの貧民街で、慈善事業に取りくんでいる。
「この地区の多くの家庭の月収は三十ドルに満たない。食事は一日に一度か二度、口に入ればいいという程度。この街の冬はかなり寒くなる。しかし、防寒用の衣服もなく、子供たちは凍えて寒さをやりすごすしか手はない」
 道を歩いている人が、ドゥンガを見るとにこやかに笑い、会釈をした。周りにいる僕を見る目も柔らかい。
「この地区の人間、全員が悪い人間ではない。ただ、非常に犯罪率が高いことは事実だ。麻薬も簡単に手に入る。」
(写真:なぜか人間の住む家よりも「犬小屋」が立派である)

 財団が今、最も力を入れているのが、この貧民街、レスチンガ地区に作った、「スポーツクラブ・シティズン」である。
 スポーツクラブという名前、ドゥンガが関わっていることから、選手を育てるスクールかと思うかもしれない。施設にはサッカー用のピッチもあるのだが、ここの目的はアスリートを育てることはない。
「子供たちに社会の基本的なルールや、最低限のマナーを教えること。例えば、歯を磨くということを知らないという子供までいる。両親がきちんとした職についていないので、学校にも通えない。だから、勉強の手助けもしている。彼らに少しでも未来が開けるようにしたいと思っている」
(写真:人々は貧しく、子供たちは「三食」食べる習慣のない子供も少なくない。施設では、食事も出している)

 ブラジルの大都市の周辺に貧民街が広がっていくのは理由がある。都市の魅力につられて、あるいは貧困から逃げ出して職を探して、農村部から都市へと人間が移動してくる。しかし、手に職のない人、学歴のない人間に仕事を見つけることは難しい。彼らはやむなく空いている土地に不法占拠をして、バラック小屋を建てる。それが次第に拡大していくわけだ。
 暴力という種は、貧困という栄養を得てあっというまに茎をのばし、都市にからみつく。暴力は次々と新たな種をまき散らしていく。
“トラフィカンテ”と呼ばれるブラジルの新興マフィアは、少年たちにまずは“お使い”をさせ、多めの小遣いを渡し、組織の中に取り込む。そして次第に「重要」な仕事を任せていくのだ。麻薬、金、貧しい少年たちの心を掴むのは、そう難しくない。それに抗うには、地道な努力しかないとドゥンガは考えている。



 私見ではあるが、ブラジルのサッカー選手は、引退した後の社会との関わり合い方で、おおざっぱに三つに分けられる。
 第一の世代は、1970年代半ばまでの、サッカー選手というのが職業として成り立たなかった時代。
 第二の世代は、世界的にサッカーがビジネスとなるという意識が生まれた1980年代の選手。
 そして第三の世代は、1990年代、スポーツ及びサッカーが巨大なビジネスとなった中でプレーした選手たちだ。

 第一の世代は、サッカー選手は世間的には認められた職業ではなかった。選手によって差はあるが、他の職業と比べるとサッカー選手は大きな収入を手にしていなかった。
 彼らは自分たちが糊口をしのぐのが精一杯で、引退後も社会貢献にまでは目が届かなかった。もちろん、大量消費社会がまだ浸透しておらず、貧富の格差がそれほど大きくなかったこともあるだろう。
 第二の世代では、サッカー選手という職業は社会的に認知されてきたが、多くの選手はまだ金銭的には恵まれていたとはいえない。
 現在と比べると、花形選手でさえ、現役中にそれほど大きな収入を得ていなかったこともあるだろうが、サッカースクール経営や、チーム経営に積極的に乗り出した元選手は少なくない。ジーコはその第二世代の代表的な存在だ。
 第三の世代になると、サッカーは産業として確立し、サッカー選手は格段に豊かになった。ブラジル人選手が国外のクラブでプレーすれば、ほんの数ヶ月で、多くの貧しいブラジル人が一生かかっても手にできない収入を得ることができる。

 前の二つの世代ももちろん社会貢献をしていたが、第三の世代の選手はより、組織的、大規模に動いていることが多い。
 自らの出身地である貧民街に施設を作ったジョルジーニョ、ドゥンガと同じように財団を作ったレオナルドとライー、ドゥンガの良き協力者タファレル。特に、1994年のアメリカ大会優勝メンバーの多くが、慈善事業を行っていることは興味深い。
「僕たちの世代というのは、全てを手に入れた世代なんだ。オリンピックでも銀メダル、コパアメリカでの二回の優勝、コンフェデレーションズカップ、そしてワールドカップ。サッカーで得られるものは全て得てきた。そして、サッカーがどれだけ力を持っているのか、それを理解している世代だと思う。」

(Vol.3へ続く)


田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入る。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。08年3月11日に待望の新刊本『楽天が巨人に勝つ日―スポーツビジネス下克上―』(学研新書)が発売された。




◎バックナンバーはこちらから