20世紀は「自動車の世紀」であったとも言える。米国においてモータリゼーションが始まったのは1900年代初頭。やがてこれは全世界に広がり、市民生活の向上や産業振興がはかられた。
 本格的な自動車レースも20世紀になって産声をあげた。1906年、フランスで初の四輪グランプリである「ACFグランプリ」が開催され、戦後、規格が整えられてF1へと発展していく。1906年といえばホンダの創業者・本田宗一郎が誕生した年でもある。不思議な因縁を感じずにはいられない。

 日本のメーカーとしてホンダがF1に初参戦したのが1964年。80年代後半から90年代にかけて黄金時代を築き上げた。アイルトン・セナやアラン・プロストは時代の寵児だった。
 そのホンダがF1シリーズからの撤退を発表した。過去に2度、ホンダは活動を「休止」しているが今回は「撤退」である。賛否ともにあろうが企業としての決然たる意思が見てとれる。
 ホンダのF1参戦コストは開発費を含め、年間約500億円といわれる。これは営業利益の約1割にあたる。資金も人材も情熱もF1に投入してきた。F1こそは「ホンダのDNA」(福井威夫社長)であり、創業者の挑戦者魂を具現化し続ける舞台でもあった。
 底の見えない不況ではあるが、谷底を覆う霧もいつかは晴れる。にもかかわらず、なぜ今回は「休止」ではなく「撤退」なのか。私が注目したのは福井社長の「自動車産業は繁栄した百年から、大きな次の百年に向かう新しい時代に入った」とのコメントだ。

 ホンダが「地球環境保護」に熱心なのは周知の事実だが、これをさらに加速させ、最速のエンジンをつくることに振り向けていた資金や人材を再編し、低炭素社会に備えるという意思表示なのだろう。
 確かにホンダのF1撤退の直接的なきっかけは世界的なリセッション(景気後退)であり、それに伴う経営環境の悪化だったかもしれない。
 しかし、歴史的な文脈で見ればひとつの時代の区切りを認識せざるを得ない。モータリゼーションにおけるこれまでの百年とこれからの百年。すなわちCO2社会から脱CO2社会へのパラダイム・シフト。好むと好まざるとに関わらず、我々は文明の転換点に立たされている。

<この原稿は08年12月10日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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