北京五輪が8月24日閉幕した。今回の大会には204の国と地域から役員も含めて約1万6000人が参加、17日間にわたって熱戦が繰り広げられた。中国政府が国家の威信をかけて臨んだこの大会から何が見えたのか。上海出身の大学教授兼ジャーナリスト葉千栄氏、金融コンサルタントの木村剛氏、スポーツジャーナリストの二宮清純が討論した。(今回はVol.7)
二宮: 中国の英雄、110メートル障害の劉翔は棄権して批判を受けた。内実は分かりませんが、サッカーブラジル代表のロナウドの例を思い出します。1998年W杯で、試合に出られない状態だということで、先発メンバーに入っていなかった。ところが、ふたを開けてみると決勝に先発して、みんながびっくりした。
 スポーツメーカーとスポンサー契約による決勝出場義務など、いろいろな臆測が飛び出しましたが、必ず意見は両極端に分かれる。1つは、スポーツを市場経済の原理に埋没させてはいけない。もう1つは、そんなことを言ってもカネがなければ競技なんてできないという意見です。
 
 私は理想の前にある「現実」をどう処理するのかが重要だと思っています。目の前にある平均台を、どちらの側にも落ちないようにして渡り切るしかない。今の五輪には莫大な商業資本が入っている。そしてその資本がなかったら、五輪なんかできません。日本には「アマチュアリズムがいい」なんてことを言う、アマチュアリズム信仰者がいますが、英国のスポーツ関係者は私に、「アジアにアマチュアリズムはない」と言った。
 アマチュアリズムを追求したら、暇なおカネ持ちが一番強くて勝つに決まっている。だから貴族が勝つ。そんなアジア蔑視のアマチュアリズムに日本人が賛同してどうするんですか。
 今、ヨーロッパでは、「アマチュアリズムとコミュニズムの時代は終わった」というのが定説になっています。

木村: しかし、今の日本には難しいですね。経済の分野ですら「資本を使うことはダメだ」と言う人がいるんだから。「おカネがおカネを生むなんて……」みたいな批判を平気でしています。

二宮: そういえば、経済産業省の事務次官で「デイトレーダーはバカで無責任で……」と発言した人がいましたね。確かに規律を確保することは必要ですが、それは自由を担保するためにあるものでしょう。そんなこと言ったら資本主義は成り立たない。やはり霞が関は社会主義官僚の巣窟だったということがはっきりした。

: 日本中の個人投資家に対する侮辱ですね。多くの日本人は、社会主義というものを一種の経済システムと政治制度だと思っていますが、昔の社会主義中国で育った私に言わせると、社会主義はもうひとつの特徴がある。それは精神論的な思考様式という特徴です。
 私が子供の頃、小学校や中学校の先生は毎年、元旦とクリスマスに生徒たちに必ずこう言いました。「世界に4分の3の人が、今も苦しんでいます」。人民日報や新華社通信はニューヨークの路上で暮らすホームレスの写真を掲載し、私たちは社会主義の優越感と中国国民としての幸せを味わった。
 でも、実際には、社会主義の国民こそが飢えていた。しかし、メディアも加担してつくったフィクションの前に、思考停止状態の国民は「われわれは安全で平和で世界一の街に住んでいて良かった」と信じていたのです。

木村: 今の日本の現象とすごく似ていますね。

: そして、四人組が倒されて文化大革命が終わり、故小平国家主席が初めて米国を訪問したときに、私たち中国の国民はテレビを通じて1970年代前半の豊かな米国の様子を見て、神話は崩壊したのです。

(続く)
<この原稿は「Financial Japan」2008年11月号に掲載されたものを元に構成しています>
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