「練習でワンツー、フックが打てても、試合ではワンツーまでしか打てないということがある。そういうところを自分の中でいろんな部分で感じています。また、僕は勝つなら勝つ、負けるなら負けるの試合しかやっていない。ガチガチの接戦になった時に自分が粘って、判定で勝ちをひろえるかどうか。そういう部分は試合でしかわからない。どこまで自分の気持ちが続くかということを確認したいですね」
 強かったのはTURBΦ

 今、上松は自身の課題を冷静にみつめている。接戦を演じ、上松をより高めることができる男は誰なのか。これまでの戦いで最もインパクトがあったのは2006年11月に対戦したTURBΦ(ターボ、TEAM O.J)だ。世界王座獲得経験もある強敵だった。試合は戦前の予想通り、TURBΦの強打に上松は苦戦を強いられる。しかし、結果は上松の判定勝ちだった。

「格闘技人生のなかで勝ち負け含めてあの選手が一番強かった。勝ちましたけど、ボコボコにされて試合中に帰りたかったくらいですよ。ダウンを2度奪ったんで勝てましたけど、試合に勝って勝負に負けたという感じです。この前、試合会場で偶然会った時に“そのうちそっち側(K-1)いくから”って言われました。K−1にきたら絶対面白いですよ」

 ならばTURBΦこそが上松を高めてくれる存在なのか。「現在、戦ってみたいか」と訊くと上松は即座に首を横に振った。
「やりたくないです。決まればもちろん試合しますけど、自分から強い選手とやりたい気持ちはないんです」

 では対戦したい相手は一体、誰なのか。さらに訊くと、こんな答えが返ってきた。
「ガツガツ前に出てくる選手とは噛み合うと思います。山本元気選手なんかとやったら試合は面白くなりますよ」

 山本元気。DTS GYM所属。第21代全日本キックボクシング連盟フェザー級の王座に輝いた男だ。2008年11月には同じく階級の第一人者である桜井洋平(Bombo-Freely)を3ラウンドKOで沈めている。

「元気選手と戦えばノーダメージで終わることはない。でも一番ガツガツした試合ができる男であることは間違いないですね。ただ、“殺される”と思いますけど。自分が殺されなくて、力を発揮することができればいい試合になって盛り上がるでしょう。向こうも打たれ弱くはないし、殴られても前に出る。僕が殴られて死ななければの話ですが(笑)」

 ジョークを交えながら語ったが、目は真剣そのものだった。その時、上松の口から外国人選手の名前が出てこないことに気づいた。K-1といえば外国人ファイターが隆盛を誇る。海の向こうには対戦したい選手はいないのか。
「正直、60キロの外人でどんな選手がいるか知らないんです。きっとタイとかには強い選手がゴロゴロいるんでしょうけど。でも、60キロ級は日本人トーナメントが盛り上がると思います。実力があって、キャラの濃い選手が多いんです」

 山本元気、桜井洋平、山本真弘(藤原ジム)、そしてK-1で2連勝を果たした大月晴明(AKJF)と上松。ライト級は日本最激戦区と呼ばれるだけあって日本人の層が厚い。70キロ級が魔裟斗や世界のトップファイターが凌ぎを削るワールドグランプリで盛り上がりをみせる反面、「ライト級は日本人グランプリが盛り上がる」と上松が語ったのも納得できる。その60キロ級のトーナメントは今年中に開催が目されている。もちろん狙うは優勝だ。
「以前は1回戦で優勝候補を倒せれば2回戦で負けてもいいやと思っていたんです。でもこの前の試合(大宮司進戦)の時に応援されていると感じて、そんな甘い考えではだまだと思い直しました」

  引退後の夢は俳優

 過去、トーナメントに参戦したのは一度だけ。「R.I.S.E. FLASH to CRUSH TOURNAMENT '06」に出場した。しかし、2回戦のKAWASAKI戦で判定で敗れている。
「僕は今でもスリップダウンだと思っています。それがダウンととられて判定で負けたんです。でも、そこまでのショックはなかった。まだまだ技術的に未熟でしたし」

 あれから3年、今やK-1ライト級のエース候補まで上り詰めた。将来はどのような姿を夢見ているのか。

「僕は強くなりたいというよりも有名になりたいという方が強い。もっといろんな人に応援してもらいたいんです。かといってお金がたくさんほしいというわけではない。もちろんあるに越したことはないですけど、普通に家族が養える程度あればそれでいいです。だからということもないんですけど、結婚するのはファイターを引退してからだと考えています。どうしても安定とかっていうことは難しい職業ですからね」

 意外なほど堅実な人生観を語った一方で、驚きの夢も飛び出した。
「キックボクシングを引退した後は俳優になりたいんです。いろんな番組に出てもっと多くの人に上松大輔を知ってもらいたい。そっちの世界で成功するかなんてわかりませんが、今、K-1で頑張ってメディアに出ることはプラスになるはずです」

 最後に、こうも付け足した。
「人間、最後は死にますから。その時に一番やりたいことに完全燃焼したい。今はもちろんK-1。まだまだ強くなれると信じています」

 1月21日、上松のK-1 3戦目の対戦カードが発表された。2月に開催されるミドル級日本代表決定トーナメントのアンダーカードとして、元ボクシング日本フェザー級王者渡辺一久(フリー)との対戦が決定した。相手はキックボクシング初挑戦。K-1のリングで上松が負けることは許されない。そのことは上松自身もわかっている。

「ローキックで倒してもおもしろくない。もともと僕はローを蹴るタイプじゃないし。ローじゃなくて倒すとしたら別のものになると思います。今はタイトルをとってスタートラインに立ったという気持ち。この階級を引っ張っていこうという意識で戦いたい」

 上松大輔は09年、大きな決意をもってリングに立つ。ライト級トーナメントを制した時、“魔裟斗2世”と呼ぶ人間はいなくなるだろう。上松大輔は上松大輔――。その拳、その脚、その体で、自らの存在を人々の心に深く刻み付ける1年がついにスタートした。

(おわり)

<上松大輔(うえまつ・だいすけ)プロフィール>
1984年10月3日、愛媛県松山市生まれ。松山東高校3年の時にテレビで見た「K-1 MAX」を見てK-1ファイターを目指し上京。前田憲作が主宰するチームドラゴンに所属している。08年7月にK-1デビューを果たしK-1のリングで2戦2勝2KO。K-1の60キロ級を背負う存在として期待がかかる。173センチ、60キロ。





(松本崇志)
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