騎手わずか9人という、日本一小さな競馬場が昨年の夏、55年の歴史に幕を閉じた。
 島根県、益田市営競馬場。
 最終日となった8月18日には、1日としては過去最高の4621人が入場し、馬券の売り上げ高も6231万円を記録した。
「子供の頃から大好きで、憧れを抱いて入った場所だけに、そりゃ寂しかったですよ」
 年齢は21歳だが、その横顔は高校生のようにも見える。驚くほど童顔なのだ。益田競馬の廃止に伴い、昨年の9月に南関東・大井競馬にやってきた御神本訓史は、ポツリと言って表情を消した。
 景気の低迷と中央競馬の人気に押され、益田競馬場は01年度まで約14億5300万円の累積赤字を計上していた。賞金の削減や、他の地方競馬の馬券を発売するなどの経営改善策にも取り組んできたが、この6年間、ずっと赤字が続いていた。
 地方競馬では88年に和歌山県の紀三井寺競馬、01年に大分県の中津競馬、新潟県の新潟競馬が経営難により、相次いで廃止に追い込まれていた。
 その頃から、益田競馬の廃止も時間の問題と見られていた。存続するだけの体力は、もはや市に残されてはいなかった。
 御神本は続ける。
「急だったんですよね。廃止が決まってから、実際に競馬がなくなるまで1年も経っていなかったんじゃないですか。お客さんも入っていなかったから、しょうがないんでしょうけど、やっぱり心の中には“まだ信じられない”との思いはありましたよ。
 といって、僕らが益田競馬に貢献できることといっても、何もないですからね。諦めるより他に方法がないじゃないですか。こればっかりは、どうしようもなかったですね」

 父・修さんも、益田競馬の騎手だった。御神本が生まれる前に引退し、調教師に転身していた。
 御神本は父の後を追うように、中学卒業と同時に騎手を目指して競馬学校に入った。子供の頃から決めていた。
「子供の頃から馬が近くにいる環境の中で育ったので、騎手になるのに迷いはなかった。
 でも、父は最初から賛成したわけではなかった。むしろ、渋い顔をしていましたよ。父は8年くらいしか現役をやっていないのですが、どうも、相当、減量で苦しい思いを味わったようなんです。だから、そんな辛い思いを子供にさせたくないと思ったのかもしれません。反対はしないまでも、あまりいい顔をしなかったのは事実ですね」
『門前の小僧、習わぬ経を読む』そんな諺があるが、御神本はまさに、そうだった。
 競馬学校の実技試験で5段階評価の“5”をとった。これは、競馬学校史上初の快挙だった。
 振り返って御神本は語る。
「4回くらい、免許のための試験があるのですが、80点か90点以上を続けてクリアすれば“5”がもらえるんです。これまで“5”をとった人がいなかったので、まさか僕がもらえるなんて思ってもみなかった。もらった本人が一番びっくりしたくらいですから……」

 競馬学校卒業後、希望通り益田競馬へ。99年4月に初騎乗。00年にはNAR(地方競馬全国協会)グランプリ優秀新人騎手賞、益田リーディング1位、プロスポーツ大賞新人賞を受賞。
 益田に御神本あり――彼の名前は全国に鳴り響いた。
「なにしろ憧れの職業、しかも好きで入った益田競馬。ものすごくやり甲斐がありましたよ。
 特に02年の益田ダービーは印象に残っていますね。僕はサントゥールワンという馬に騎乗して勝ったのですが、これは父が育てた馬だったんです。
 距離は1800メートル。益田では1350メートルは一般的なレースなので、逃げ馬のサントゥールワンは最後までもたないのでは、と言われていた。
 でもサントゥールワンは、なんとか頑張ってくれた。逃げて勝った。レース自体も会心のものでした。だから余計に印象に残っているのかもしれません」
 益田を出る時、父親は一言だけ言った。
「頑張ってこいよ」
「人に好かれるような騎手になれ」
 そう続けた。

 大井競馬は、地方競馬の中では最大の集客力を誇る。しかも寮生活。益田競馬時代とは、ガラリ生活スタイルも一変した。
「益田ではレースは週2回しか行われなかった。しかし、こっちはいつ競馬があるかわからない。大井が終わったら、もう次の日には船橋といった具合にレースが待っている。関東では、大井、船橋、川崎、浦和のローテーションになっていますから。
 寮に帰っても、考えているのは競馬のことばかりですね。あるいは、すぐにバタンキューと寝てしまうか……寝ていても、夢の中に競馬が出てくることがあります。どこかで息抜きもしないといけないんでしょうが、なかなか難しいですね」
 若さに似合わず、「努力」「地道」といった言葉が好き――御神本はそう言った。
 都会のネオン暮らしにも、そしてアルコールの誘惑にも興味を示さない。
「今は足場を固める時期ですからね」
 とても21歳の青年の言葉とは思えない。

 あえて訊いてみる。
―――ジョッキーに一番必要なものは何でしょう?
 澄んだ瞳をまっすぐに向けて御神本は言った。
「やはり気持ちじゃないでしょうか。いくらうまくても、技術だけでは上には行けない。自分に妥協した段階で、もう終わりだと思うんです。“これでいいや”とか“ここまで来たんだ”と思ったら、もうそれ以上は望めないでしょうね」
 身長161センチの割には手が大きい。ずっとインタビュー中、気になっていた。
「手だけじゃなく、僕は足も大きいんです。骨太の体質なんです。これ以上、大きくなりたくない。早く固まってくれないと困ります」
21歳は真顔で言った。

<この原稿は2003年4月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>
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