試合後のレセプションで神戸の伊藤剛臣に、こう言われたんです。「土田さん、悔しくないのですか。ラグビーは勝ち負けですよ」って。
 その言葉を聞いて、急に悔しさが込み上げてきた。それでも、その時は「いや、チャンピオンチーム相手にここまでやれたんだから……」と切り返したのですが、帰りの新幹線の中では、もう腹が立って……(笑)。ただ、逆に言えば神戸の選手たちがウチを意識せざるをえなくなった証拠でもあるわけです。
 そういうこともあって01年のシーズンは完全に神戸を射程距離に入れていました。自信をつけたのは6月に行われたウェールズ戦ですね。最大で22点リードされていたのをひっくり返し、45対41で勝った。
 一部には「ウェールズのコンディションがよくなかった」という声もありましたが、彼らは全員プロで、しかもそれでメシを食っているわけでしょう? そんな相手に特別なキックを使ったわけでもなければ、サインプレーをかえたわけでもない。もちろん、ウェールズ用の対策など何も立てていなかった。
 ウチらしいラグビーでウェールズに勝った。これで選手たちは自信を深めたと思うんです。自分たちがやってきたことは間違いじゃなかったんだと。

 また選手には自分の弱み、弱みを認識させることを徹底して行いました。自分のことがわかっていない選手は使えないんです。
 たとえばウチの10番の伊藤宏明。彼の弱みは「ディフェンスが弱い」。自己申告で、はっきり、そう書いてきましたよ。
 しかし、それから彼はガラリとかわりました。練習が終わってから、ひとりでディフェンスの練習に取り組み始めたんです。こちらもいい感触を掴んでもらおうと、いいディフェンスをした時のビデオを彼に見せてやる。すると、だんだんよくなっていく。
 00年のシーズンは確か1試合も出られなかったはずですが、01年は全試合に出場した。彼などはウィークポイントを努力と工夫で克服した典型的な例でしょうね。

 ミーティングも大切です。僕は外国人コーチと4時間でも5時間でも突っ込んで激論しました。納得するまで徹底してやりました。
 しかし、選手たちに伝えるのは、いつも15分間だけです。ビデオも15分間しか見せない。
 例えば相手が神戸製鋼だったとする。「一番大切なのはスピードだ。足とボディーのスピードだ」と具体的に言うんです。土曜日が試合だとすると、月曜日と火曜日はくどいくらい選手に言う。
 ところが水曜日になると、皆、忘れてしまっているんです。そこで木曜日、金曜日にもう一度意識付けを行う。ビデオを使ってビジュアル化して頭に刻みつける。こうした作業を1週間かけて行うわけです。

 こうしたやり方はジャパンで(監督の)平尾誠二も用いていた。彼は伝えたいことが10あっても選手には1つか2つしか伝えないんです。一番大事なことをキーワードをくっつけて認識させる。
 逆に、あれもこれもとなると選手は覚え切れないんです。よく相手のことを研究し過ぎて、選手に、すべてを伝えたがるコーチがいますが、あれはダメです。伝えるべきことと伝えなくてもいいことを指導者が選別しなくてはならない。
 それに、あまりしつこく言うと嫌がる選手もいる。現在、フランスのコロミエでプレーしている斎藤裕也(現神戸製鋼)はその典型でした。彼とは組織の大切さについてよく話しましたが、最初は理解してくれなかった。「いや、僕の考え方はこうです」とすぐに反駁する。上から押さえつけることを嫌がる選手でした。

 ある時、外国人コーチが「何で斎藤を使うんだ?」と僕に面と向かって言いました。「彼はミスしても反省しない。1試合はずして反省させよう」と言ったんです。
 でも、僕は使い続けた。彼の性格から見て、はずせば逆にくさると読んだんです。だから外国人コーチに僕は言いました。「今は辛抱の時期。3年後、4年後は彼がチームの中心にならなければならない。もう少し長い目で見てくれ」と。
 扱いやすいか扱いにくいかで言えば、彼は後者でしょう。しかし、従順で丸い人間ばかりじゃ組織は活性化しないんです。ああいう角張ったヤツがいるから、逆に組織が鍛えられることもあるんです。その意味で指導者には目先のことには目をつぶっても、その選手の将来に投資することを優先すべき場合もあるでしょう。我慢することの大切さを僕自身、学びましたよ。

 03年1月、土田は日本選手権でNECに負けた試合を最後に“勇退”した。ラストゲームは飾れなかったものの、自分のひとまずのミッションは終わったとの、ある種の潔さがスタジアムを出る後ろ姿にはにじんでいた。
 楕円球にはしばし別れを告げたものの、今もって土田雅人が日本ラグビーの将来にとって掛けがえのない人物であることにかわりはない。
 次はどんなミッションを掲げ、どんなビジョンを描いてラグビー界に戻ってくるのか、土田雅人の40代を楽しみに待ちたい。

<この原稿は2003年9月『失敗を生かす12の物語』(光文社)に掲載されたものです>
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