二宮: ガンバ大阪は、かつてはJリーグのお荷物といわれていたのが、西野さんが監督になられて以来、毎年のように何らかのタイトルを取っています。勝つことも難しいけれど、勝ち続けることはもっと難しい。いまのガンバはまさに常勝チームになっていると思うんです。監督として手応えはいかがですか。
西野: チーム力は右肩上がりで上がってきているし、それなりの結果も出ていると思います。監督に就任した2002年、03年ごろは、負けるときはあっさりと負けるし、粘って勝つということがなかった。これは関西の気質もあるのかなと思いましたけど(笑)。

二宮: 関東から行かれて、最初はやっぱり違和感がありましたか。
西野: ありましたね、けっこう。阪神タイガースじゃないけれども、負けても応援してくれる。ぬるま湯に入っているようで、勝負に対する執着心に乏しいなと感じました。
 突然変異的に1回優勝するというのは簡単だと思うんですよ。だけどそれを継続していくためには、現場はもちろんですが、クラブとしてもしっかりとしたビジョンを持たなきゃいけない。ガンバに来たときはハードの面でもいろいろ不安に感じたし、野球人気が先行していてサッカー界がなんとなく……。

二宮: とくに関西の場合はね。スポーツメディアは阪神、阪神で(笑)。
西野: スポーツ紙は1面、2面、3面、4面になっても「まだ阪神かよ」みたいな感じでね(笑)。そういうメディアに対するアプローチも考えていかなきゃいけないし。でも、ポテンシャルの高い選手がたくさんいるな、何か気づかせれば変わっていくなと。だからいろんなことをやりましたけども、選手に対しては代表に選ばれるとか、ヨーロッパに行くとか、常にもっと高いステージでやるんだという目標設定を植えつけましたね。
 そういうことも含めて、やっぱりこの万博でやっているという環境自体がよくないですね。

二宮: よくないですか。やっぱりちゃんとした専用スタジアムがないと。
西野: 国の持ち物の中にポツンと間借りしているわけだから、やりたいことがやれないんですよ。最初は食事もとれなかったくらいですから、ここ(クラブハウス)で。

二宮: 西野さんは、関西は初めてですよね、来られたのは。
西野: はい。僕はそういうことにチャレンジしに来たんです。だから最初はクラブともずいぶんやり合いましたよ、いろんな面で。

二宮: チームが変わってきたのはいつ頃からですか。
西野: 04年ごろからですね。最初は02年、03年の2年契約でしたが、1年目にいきなり3位になっちゃったんですよ。でも、これじゃだめだと思ったんです。

二宮: ほほう、だめだというのは?
西野: パッと3位になったから、ハードも何も変わらない。変えなきゃいけないのに。そうしたら、案の定、03年は10位になっちゃったんです。僕はそこで「これは更迭かな」と。ところが「あと2年」というんで、時間をもらったなというなかで、そこからいろんなアプローチができたというのが……。

二宮: で、04年にまた3位になって。
西野: 02年のときとは違う3位でしたね、手応えを感じた。03年に10位に落ちたことでクラブも本気モードになってきて、ハード面も少しずつ改善されてきたし、選手の意識も変わってきて。そこでまた3位になったことで、全員が「これは行ける」と。

二宮: 地力をつけての3位ということでしょうか?
西野: ええ。僕自身も就任当初はとにかく自分のやりたいサッカーを、と思って、なりふりかまわず、何を言われようがじぶんのスタイルでやっていたんですけど、クラブや選手とのコミュニケーションも努めてとるようにしたりして。そこから本気で「トップに」という雰囲気になってきましたね。

二宮: その西野さんのやりたいサッカーというのは「攻撃的サッカー」ですよね。それはずっと変えていないわけですね。
西野: そこはぶれてないですね。攻撃的というのは、どんな選手でも点を取れるから攻撃的なのではなくて、スタイルとして、常に全員がオフェンシブな意識を持っているという。

二宮: そういうスタイルがいまの結果に結実していると思うんです。「ガンバのサッカーは面白いよ。観に行こうか」という訴求力を生んでいるじゃないかなと。それがJリーグを活性化させてもいる。
西野: 僕は単調なゲームというのは好きじゃないんです。好きじゃないというか、このままではマイナスに作用するなと思うんですよ。
 拮抗していたり、変化がないときはシステムを動かしたり、メンバーチェンジを早めにしたりして、状況を変えたいというのがいつもあるんです。
 だから「もっと強気な選択をしてほしい」というメッセージを常に考える。選手からすると、悪くはないゲームをやっているのになぜこの選手を代えるのか、と思うかもしれないけれど、僕はそのまま続けてもいい結果を生むとは思えないんです。

<この原稿は2009年6月号『潮』に掲載されたものを抜粋したものです>

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