「まるでおとぎ話のようだ」
 レースを制した英国人ドライバー、ジェンソン・バトンは顔を紅潮させ喜びを表現した。
「これ以上はない」
 チームを率いるロス・ブラウン代表も、感慨深げに語った。
 2009年フォーミュラワン(F1)開幕戦オーストラリアGPは、新規参入チームのブラウンGPが1、2位を独占するという衝撃的な結末だった。
新チームの1−2フィニッシュは1954年フランスGPでのメルセデス以来55年ぶり。ハイテク化が進んだF1の世界で、夢のような出来事が再現され、世界中から驚きを持って迎えられた。
 続く第2戦マレーシアGPでもバトンが優勝し、開幕2連勝を飾る。第3戦中国GPでは勝利を逃したものの3位に食い込んだ。
「このままなら、シーズンの半ばにチャンピオンが決まる」
サーキットではそんなささやきも聞こえる。

 実はこのブラウンGP、昨年までホンダF1として活動してきたチームである。マシンのベースはホンダなのだ。
 昨シーズンのホンダF1の成績を見てみると、全18戦で獲得したポイントは14。全10チーム中9位、下から2番目という体たらくだった。

 そんなチームが名前を変えただけで、開幕から3戦で36ポイントも稼ぎ出している。どこにその原因はあるのか。端的に言えば、それは「レギュレーションの変更」だ。
 07年からホンダF1に加入したロス・ブラウンは「09年からのF1は新レギュレーションになる。08年は結果を求めず、今後のための開発に力を注ぐ」という方針で昨シーズンに臨んだ。この考えにはホンダ経営陣も同意し、今季の開幕に備えていたはずだった。

 しかし昨秋、状況は一変してしまう。アメリカ発の経済危機は世界中に波紋を広げ、ホンダ経営陣はこれまでのようにF1に莫大な開発費を計上することが困難と判断。昨年12月、F1からの完全撤退を発表し、チームの売却先を探すこととなった。
 結局ホンダF1は、開発に携わってきた人員や長年ホンダが培ってきたノウハウも含め、全てロス・ブラウンに譲渡された。バトンとセカンドドライバーのルーベンス・バリチェロは引き続き、ブラウンGPと名前の変わったマシンのハンドルを握ることとなった。

 チームがブラウンGPと名前を変えて発足したのは、今年3月8日のこと。つまり開幕戦の1カ月前だ。そして迎えた開幕戦の結果は冒頭のとおり。バトンが「おとぎ話のよう」と口にしたのも無理はない。
 ブラウンGPの躍進の理由はまだある。昨シーズンまでホンダが開発してきたシャシーの性能の良さ、ホンダからメルセデスに変わったエンジンの優位性などだ。
 とりわけディフューザーと呼ばれる部品に大きなアドバンテージがあるといわれている。我々には聞き慣れない言葉だが、ブラウンGPに限らずこの部品を装着しているチームが新レギュレーションのF1で大きな躍進を遂げている。

 F1は強大なパワーを生み出すエンジンで、極限まで軽量化された車体を動かす。時速350キロを超えるスピードでも、車体が地面から離れないようにするために、ダウンフォースと呼ばれる力を車体に与えている。F1には前後に大きなウイングが付いているが、それらの役割はこのダウンフォースを得るためのものだ。

 そこで、再び先述のディフューザー。この装置を車体後方の底面付近に装着することで、これまで以上のダウンフォースが得られるという。抑えつける力が大きくなる=速く走ることができる。この図式でブラウンGPをはじめとしたいくつかのチームが前年よりも大きく成績を伸ばしているのだ。

 だがその一方で、ディフューザーは「現行のレギュレーションでも違反になるのでは?」との声もある。F1を統括するFIA(国際自動車連盟)に訴えを起こしたのは、フェラーリ、ルノーといった名門チームだ。この2チームは今シーズン、文字通りブラウンGPらの後塵を拝している。

 ルール変更で不利益を被った者がお上に救いを求めるのは世の常だ。しかしながらFIAは「ディフューザーは合法」と判断し、フェラーリらの訴えを退けた。
 昨年の北京五輪における水着騒動もそうだった。英スピード社製の“高速水着”「レーザー・レーサー」が物議をかもしたが、結局は“合法”と認められた。科学技術の進歩に振り落とされた者が、後で文句をつけても、それは“負け犬の遠吠え”にすぎない。

<この原稿は2009年5月26日号『経済界』に掲載されたものです>
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