1999年6月1日の開設以来、当サイトでは膨大な量のインタビュー記事、コラムを更新してきました。今回はサイト10周年を記念して1カ月間、過去の傑作や貴重な内容のものをセレクトし、復刻版として毎日お届けしています。記事内容は基本的に当時のままを掲載しており、現在は名称や所属が異なる場合もありますが、ご了承ください。第3弾はサッカー日本代表MFとしてドーハの悲劇もジョホールバルの歓喜も経験した北澤豪へのインタビュー(実施は99年)をお送りします。
 李総監督が求めた「規律」

二宮: まだまだという意見もあるでしょうが、ヴェルディが「改造中」という看板を掲げてから、随分早く改造が進んだんじゃないかと思います。1stステージでは一時、優勝しそうな勢いでしたね。かなり手応えを感じられたんじゃないですか?
北澤: そうですね。実際には「改造」という言葉はあまり好きじゃなくて、自分ではあまり口にはしないようにしていたんです。自分のチームはそうかもしれないんですが、外に対しては逆に失礼にあたると思って。
 1stステージの経過で1位になった時もありましたけど、僕も含めて、チームの皆も浮き足立った感じはなかったんです。それは謙虚という意味じゃなく「まだ、こんなもんじゃないだろう」と。

二宮: クールに受け止めていたんですね。
北澤: そうですね。ヴェルディはいろんな偉大なプレーヤーがキャプテンをやっていたので、そういった責任や重みも凄く感じました(※この年、北澤はヴェルディのキャプテン)。それも含めて「どうやればいいのかな」というのもあって。
 僕自身もともとはリーダー的なものを持っている性格だと思います。今までもどちらかといえば責任を持ってプレーしていたけど、そういうキャプテンに頼っているうちに、自分の責任感が少しずつなくなってきたのかなって。だから、昔の自分を振り返って、気質とかをもう一度探ってみたりしました。

二宮: もともとリーダー的な性格で、人を引っ張っていきたいという感じだったんですか?
北澤: どちらかといえばそうですね。

二宮: そのリーダー気質をラモス(瑠偉)選手やカズ(三浦知良)選手などがいたということでちょっと抑えて……。
北澤: 最初は抑えていたというのもあったけど、徐々に慣れてきちゃって、そういう感じになっていっちゃったのかなと思いましたけどね。

二宮: (元監督の)ネルシーニョさんが随分そうだったとお聞きしたんですが、李国秀総監督はいろいろ記事などを読むと結構しつこいというか、厳しいという感じですかね。かなり約束事をきっちり試される方ですか?
北澤: 白黒ハッキリするから灰色はないっていう感じです。だから今よりも最初の立ち上げの頃のほうがすごくきつかった。でも予測していたよりも基本をベースにしたオーソドックスなやり方でした。だから、白黒っていう部分もはっきり言えば当たり前のことなんだけどね。

二宮: それまでのヴェルディにはちょっと灰色だった面があったわけですか?
北澤: 曖昧にしているものを正すというかたちで。規律っていうとなんか規制っぽくて聞こえは悪いですけど、やっぱりスポーツに対する規律という部分ですか。

二宮: 最低限のチームの決めごとというか。
北澤: そういうものって必要じゃないですか。それを最初の段階では皆に凄く強調していましたよ。とにかくしつこいという意味でそれをいい続けるかたちで。

二宮: キャプテンの北澤さんからすれば、そのくらい厳しいやり方のほうがやりやすいと。
北澤: そうですね。そのほうがこのチームにとって分かりやすいだろうと思ったし。最初はちょっと僕自身手探りの状況だったんですけどね。

 ヴェルディの伝統とは

二宮: これは釜本さん(邦茂=強化推進本部本部長・日本サッカー協会副会長)がよくおっしゃるんですけど、サッカーっていうのはボールを蹴る、止めると2つの動きしかないと。
北澤: 簡単にいえばそうですね。

二宮: 今はそういうシンプルな面がおざなりにされていて、戦術ばかりに目が向けられているという話を、いろいろな関係者から耳にします。
北澤: やっぱり展開が早い、いろんな動きをするサッカーっていうのは外から要求されることなんです。それってなかなか難しいところで、サッカーの基本的な「止める、蹴る」っていうのを飛び越えちゃって次のステップをやっている気がしますね。

二宮: チームがそういうことをやらなくなったのか、個人個人の意識の問題なんでしょうか?
北澤: 両方あると思いますよ。

二宮: 昔、ヴェルディが強い時、スタープレーヤーって言われていたラモス選手やカズ選手なんかは、そういうベーシックなものはきちんとしていましたよね。
北澤: 裏付けとして絶対それがありましたね。

二宮: 私が北澤さんのプレーを見て印象に残っているのが、99年1stステージ鹿島戦で35メートルのロングシュートを決めた試合と、94年チャンピオンシップのサンフレッチェ広島戦で決勝点を決めた試合。
北澤: 広島ビッグアーチでの第1戦に来られたんですか?

二宮: 行きました。あれは震えがくるくらい凄いシュートでした。
北澤: あの時は面白かったですね。周りが良くてきちんとシンプルなサッカーができていたし。あの試合は僕個人としてではなくチームとしてのベストゲームに入ると思いますね。

二宮: 第2戦の国立競技場ではラモスの芸術的なループシュートが決まったり。「あの頃のヴェルディは」なんて言ってはいけないんでしょうけど見ていて楽しかったですね。
北澤: ラモスさんなんかはトリッキーなプレーっていうかイマジネーション豊かなプレーが目立つんですけど、ベースとなるものはしっかりしていましたからね。その辺って見ていて分かりにくいんですけど。だから、あれを真似して上手くなろうと思って違う方向に行ってしまう若い選手がいたりするわけです。

二宮: 強くてサッカーがおもしろいっていうのがヴェルディの伝統だったと思うんですよね。
北澤: そうですね。確かにサッカーは仕事ではあるかもしれないけど、こうやって恵まれた環境でサッカーをしてお金をもらえて幸せですよね。
 だから努力するのは当然の事で、努力っていう言葉は別にいらないと思うんです。そういう恵まれた中でサッカーをやっている雰囲気だから楽しい、おもしろいっていうかたちになっていたんだと思う。

二宮: 新生ヴェルディにそういう雰囲気は芽生えつつありますか?
北澤: その辺はちょっと波がありますけどね。皆、考えているところはあると思います。

(第2回につづく)

<この記事は1999年7月に行われたインタビューを構成し、00年1月に掲載されたものです>
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